2020年11月06日

J/放浪記①林芙美子

放浪記① 林 芙美子

J/放浪記①林芙美子
坂道の多い尾道の路地裏


 日記体で書かれたこの作品は、散文というよりは長大な自由詩と呼ぶにふさわしい。暗い波乱に満ちた人生を、いじけることなく、上を向きからだを張って生きた主人公の健康な気質は、深い共感と感動を呼ぶ。

■ふるさとは木賃宿 

  私は下関で生まれた。父親が行商人だったため、私には、生来、ふるさとというものがなかった。少女期の思い出は、九州一円の木賃宿を流れ歩くわびしい放浪生活の連続でうずめられ、4年間に7回も小学校を変わるという状態だった。
 やがて学校へ行くのがいやになり、やめてしまった。日給23銭の粟おこし工場の女工になったのは、それからすぐのことだった。生活は苦しく、朝から晩まで、周囲は金の話ばかりだった。女成金(なりきん)になるのが、そのころの私の唯一の夢であり理想だった。
 1か月ほどで粟おこし工場をやめ、父の仕事を手伝って扇子や化粧品の行商に出、それが売れなくなると、こんどは炭鉱夫を相手にアンパンを売り歩いた。幼いのに商売じょうずだと母にほめられるのがうれしくて、雨の日も休まず一所懸命に売ったものだった。
 19歳までの多感な娘時代は、瀬戸内海に面する美しい港町、尾道で過ごした。尾道高女を卒業すると同時に、在学当時からの愛人をたよって上京、同棲生活に入った。ふたりのあいだは血肉も焼き尽くすような堅い約束で結ばれていたはずだったが、男は大学を卒業するとさっさと故郷の因島に帰り、別の娘と結婚してしまった。だが、そのとき私のおなかにはその男の子どもがやどっており、悩んだ私はたびたび雑司ヶ谷の墓地に出かけ、駆けて行っては勢いよく墓石に腹をぶつけて、おなかの子どもをおろした。初恋は深く私を傷つけたが、この思い出とともに、海沿いの町、尾道はこころのふるさととして私のこころにいつまでも焼きついた。
 こうして私は、つぎに巨大な東京の濁った渦のなかに、何ひとつ手づるなく、わが身を投げ込むことになった。が、大正末期から昭和初期、時代は軍国主義への傾斜を速め、深刻な不況の影が東京のすみずみまで侵しつくしていた。私が歩まねばならないドン底での放浪生活、飢餓と孤独と落魄の生活は、ここから始まった。〔つづく〕

J/放浪記①林芙美子
千光寺ロープウェイ、最近の尾道の風景



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Posted by 〔がの〕さん at 00:14│Comments(0)名作鑑賞〔国内〕
 
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