2021年12月19日
A/能「采女」②
能「采女」――裏切りの美学②――
「無」へ向かう逆説の美学
それは、信じがたい鈍重さ、無神経さと同時に、名づけようもない欺瞞と交感のなかで繊細さの極限を造形する神技である。動きの絶えたところに清新な情念をつくりだす逆説の美学であり、すべてが無駄であると同時に、すべての無用な夾雑物を除き去った、意味を失った宙空に描きだす芸能である。限りなく「無」へ志向していく芸術――、それは、昨今、ぼくたちが浸りきっている映像文化、音響文化の感性を最後の一枚のところまで裏切っていく。日ごろおびただしい情報の渦に揉られもまれて形づくっていくぼくたちの思念と方法を、特急列車が小石を蹴散らして過ぎるように、こなごなに踏みしだく。

能を初めて観たと書いたが、正確には高校の講堂の硬い床に座らされて、酔夢にとろとろ揺れながら観た記憶がおぼろにある。退屈といえばこれほど退屈なものはなく、それでもハッとわれにかえって目をあけると、紅入唐織の絢爛たる装いで鬘扇(かづらおうぎ)をかざして舞うすがたが飛び込んできたりして、数瞬だけの覚醒を促されたものだ。
だから、「能はおもしろい」「すばらしい」「美しい」「たのしい」というひとの感性を信用することができない。カクテル光線が場内をめぐり、ヴォリュウムいっぱいのエレキ仕掛けの音がくまなく領し、狂気のような動きのなかでしか音楽を感じることができないそんな今風な感性を信じることができない、というのとは、それはちょっと違うように思うのだが……。ぼく自身が、あのやりきれない単調な鼓の音に音楽を感じたかどうか、それをいうには自信がないが、これまで、ソクラテスの羽を一本、ルソーの羽を一本、孔子・孟子の羽を一本、親鸞の羽を一本、鈴木大拙の羽を一本……と、そうやってつくってきた弱冠三十数歳の“おしゃれガラス”の、多色に乱れた観念世界が、頭のてっぺんを起点にスポーンと裏返しにされたような眩暈を覚えたことは、確かだ。
単調な流れに洗われていく個
「それ、うそだろう⁈」という思いのなかで、他愛なく騙されていく自分を感じながら、そこには苛立たしさとはまったく異質な、一つの深い安らぎ、刻々とよみがえっていく生命の波が打ちはじる。自分の存在のド真ん中に向かって自分に問いかける血が、なにやら、じんわりと温まっていく。空白に包まれた孤独が、澄明な輝きをもって身のまわりに泳ぎ寄ってくる。
ひょっとすると、血で血を洗う抗争の日々のなかで日本中世の武将たちが好んで能を観、かつ演じたその背景には、それに似た心情が働いていたのではないだろうか。

中入りにつづき、あらゆる動きが途絶えたところで、10分ほども鳴りつのる小鼓、大鼓の音、囃子の声。鼓膜をつんざくような大鼓のカチッという硬質な響きもときどき織りこまれるが、その、いつ止むとも知れない気の狂うような単調さに、いつしか酔い痴れている自分に気づく。まったく、この世のものとも思われないほどの手際よいだまし討ちだ。煩瑣な情動に動かされるばかり、透明さや凄白な矜持を失っていた個としての存在が、むやみに引き延ばされる単調な時間の流れのなかで、洗われ、いちばん底のところに鎮もれていく。
ぼくの能楽鑑賞は、おそらく間違っているのだろう。正しい能の見方――、というものがあるに違いない。しかし、ぼくの観た能は、おもしろいものでも、たのしいものでもなかったが、てんでふざけていて、そう、なかなかいいものだった。機会があればぜひもう一度、観たい。いや、裏返しにされた、あのおそろしく退屈な時間を持ってみたい、と思う。速さを追及する文化、饒舌な文化にはチラとも目をくれないあの清廉さには、日ごろ目にする厚化粧と過剰な動きに秘められたいやらしい欲が、影ほどもない。人間の原質と根源の在り方を問うやさしさ、これが他にないこの伝統芸能の魅力になっている、そんなふうには言えないだろうか。
P.S.) これは、はるか昔、30歳台前半のころに書いたもの。以降約30余年にわたって、ある能楽鑑賞会に加わり、年4回、四季ごとに精選された名曲の数かずに触れてきた。このところ、しばらく行かずだが。
1980年5月1日発行「帆柱」所収
なお、写真は「采女」とは関係ありません。
「無」へ向かう逆説の美学
それは、信じがたい鈍重さ、無神経さと同時に、名づけようもない欺瞞と交感のなかで繊細さの極限を造形する神技である。動きの絶えたところに清新な情念をつくりだす逆説の美学であり、すべてが無駄であると同時に、すべての無用な夾雑物を除き去った、意味を失った宙空に描きだす芸能である。限りなく「無」へ志向していく芸術――、それは、昨今、ぼくたちが浸りきっている映像文化、音響文化の感性を最後の一枚のところまで裏切っていく。日ごろおびただしい情報の渦に揉られもまれて形づくっていくぼくたちの思念と方法を、特急列車が小石を蹴散らして過ぎるように、こなごなに踏みしだく。

能を初めて観たと書いたが、正確には高校の講堂の硬い床に座らされて、酔夢にとろとろ揺れながら観た記憶がおぼろにある。退屈といえばこれほど退屈なものはなく、それでもハッとわれにかえって目をあけると、紅入唐織の絢爛たる装いで鬘扇(かづらおうぎ)をかざして舞うすがたが飛び込んできたりして、数瞬だけの覚醒を促されたものだ。
だから、「能はおもしろい」「すばらしい」「美しい」「たのしい」というひとの感性を信用することができない。カクテル光線が場内をめぐり、ヴォリュウムいっぱいのエレキ仕掛けの音がくまなく領し、狂気のような動きのなかでしか音楽を感じることができないそんな今風な感性を信じることができない、というのとは、それはちょっと違うように思うのだが……。ぼく自身が、あのやりきれない単調な鼓の音に音楽を感じたかどうか、それをいうには自信がないが、これまで、ソクラテスの羽を一本、ルソーの羽を一本、孔子・孟子の羽を一本、親鸞の羽を一本、鈴木大拙の羽を一本……と、そうやってつくってきた弱冠三十数歳の“おしゃれガラス”の、多色に乱れた観念世界が、頭のてっぺんを起点にスポーンと裏返しにされたような眩暈を覚えたことは、確かだ。
単調な流れに洗われていく個
「それ、うそだろう⁈」という思いのなかで、他愛なく騙されていく自分を感じながら、そこには苛立たしさとはまったく異質な、一つの深い安らぎ、刻々とよみがえっていく生命の波が打ちはじる。自分の存在のド真ん中に向かって自分に問いかける血が、なにやら、じんわりと温まっていく。空白に包まれた孤独が、澄明な輝きをもって身のまわりに泳ぎ寄ってくる。
ひょっとすると、血で血を洗う抗争の日々のなかで日本中世の武将たちが好んで能を観、かつ演じたその背景には、それに似た心情が働いていたのではないだろうか。

中入りにつづき、あらゆる動きが途絶えたところで、10分ほども鳴りつのる小鼓、大鼓の音、囃子の声。鼓膜をつんざくような大鼓のカチッという硬質な響きもときどき織りこまれるが、その、いつ止むとも知れない気の狂うような単調さに、いつしか酔い痴れている自分に気づく。まったく、この世のものとも思われないほどの手際よいだまし討ちだ。煩瑣な情動に動かされるばかり、透明さや凄白な矜持を失っていた個としての存在が、むやみに引き延ばされる単調な時間の流れのなかで、洗われ、いちばん底のところに鎮もれていく。
ぼくの能楽鑑賞は、おそらく間違っているのだろう。正しい能の見方――、というものがあるに違いない。しかし、ぼくの観た能は、おもしろいものでも、たのしいものでもなかったが、てんでふざけていて、そう、なかなかいいものだった。機会があればぜひもう一度、観たい。いや、裏返しにされた、あのおそろしく退屈な時間を持ってみたい、と思う。速さを追及する文化、饒舌な文化にはチラとも目をくれないあの清廉さには、日ごろ目にする厚化粧と過剰な動きに秘められたいやらしい欲が、影ほどもない。人間の原質と根源の在り方を問うやさしさ、これが他にないこの伝統芸能の魅力になっている、そんなふうには言えないだろうか。
P.S.) これは、はるか昔、30歳台前半のころに書いたもの。以降約30余年にわたって、ある能楽鑑賞会に加わり、年4回、四季ごとに精選された名曲の数かずに触れてきた。このところ、しばらく行かずだが。
1980年5月1日発行「帆柱」所収
なお、写真は「采女」とは関係ありません。
2021年11月18日
A/能「采女」①
能「采女」①――裏切りの美学――

初めての観能
4月3日(1980年)、生まれてはじめて能楽なるものを鑑賞する機会を得た。能については、知識といって何もなく、当然、格別な興味があったわけではない。ただ、農民の催事儀式のひとつとしての山形の黒川能について半ば狂的に語る大学時代の友人がいて、わずかにそのことが頭の隅のほうに澱んでいて、機会があれば一度くらい観ておきたいものだと、十余年にわたってわずかに思いをひきずっていた。
さて、仕事を切り上げて渋谷・松濤町の観世能楽堂に駆け込んだのは、狂言「瓜盗人」の最後の場面、「許してくれ、許してくれ」とシテがアドに追われて橋がかりに逃げていく場面。シラけた拍手がパラパラと起こり、半数近くのひとが席を動きだす。節ひとつないヒノキの能舞台には、しばらくは光だけが満ち溢れていた。ぼくが指定されていたのは、脇席の最前列。一の松から数えて二番目である。そこが能観賞にいい場所なのか、それとも悪い場所なのかも知らない。ぐっと足を伸ばすと玉砂利に触れ、乾いた音がせわしげにもみあう。
細々ながら守られている伝統芸能で、今日的な意味をそこに求めても虚しいだけ、という冷めた思いがあったが、五、六百人ほどもいたろうか、客席はすべて埋まっていて、カビ臭い気取り屋やペダンティストばかりではないようだ。
☆
ビ~~~ッ! と笛の鋭い音が数分つづき、ついでポンポンと鼓の音。橋がかりの奥、揚げ幕の影にひとの気配。笛、鼓の音が止むと、笛、小鼓、大鼓、そして8人の地謡連が入ってくる。床を擦る音もない白足袋の動きに目を奪われる。
曲「采女(うねめ)」の大要を記しておこう。僧(ワキ)とふたりの従僧(ワキツレ)が大和の都を巡礼、寺社をめぐり歩いたのち、奈良の春日大社に詣でる。時は弥生十日あまり、風に散ったサクラの花びらが芝草のまだ萌え出ぬ地面を雪のように染め、藤の花がまっ盛り。夜もふけ、しののめ時も近い。空気は動かず、冷えて肌に染み入る。杉の木立を縫って月影がほんのりと浮かぶ。
僧の名乗りにつづいて里の女(前シテ)が現われ、僧に声をかける。女は、付近の名所旧跡を案内してあげようと、僧たちを猿沢の池に導く。
「ちょっとしたわけがあるので、この池のほとりでお経をあげてくださいませんか」と、女。
「それはたやすいことだが、それはいったい誰のための回向(えこう)か」と、僧がたずねる。
女の髪は玉藻のように
「むかしのこと、ある采女がこの池に身を投げて死にました。帝はその女をあわれんで、『吾妹子が寝ぐたれ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞ悲しき』と、歌を詠まれたものです」
「さて、その歌はどこかで聞いたような覚えがある。もっと詳しく話してはもらえまいか」
そこで里の女は、むかしある帝の寵愛を受けていたひとりの采女が、帝のこころ変わりを怨んでこの猿沢の池にとびこんで身を虚しうしたこと、池の藻屑にからまれて浮いた采女の死骸は、この世のものとも思えぬほど美しく、さすがの帝も哀れに思って「吾妹子(わぎもこ)が…」と詠じたことなどを語る。数瞬の重苦しい沈黙がつづく。女は、「じつを申しますと、わたくしこそその采女の幽霊なのです」というと、僧の目のまえから静かに水のなかへ消えていく。≪中入り≫
つぎに、春日の里の男(アイ)が登場し、ふたたび采女の死のいわれを語り、ねんごろな供養を勧めて退場する。僧がお経を唱え、采女を弔っていると、もう一度、池の汀(みぎわ)に采女の霊が浮かびあがる。霊は変性男子として成仏し、極楽浄土に生まれ変わった悦びを述べ、ありし日をしのびながら清雅に舞う(序の舞)。そして、なおも回向をたのんで、また水のなか深くへ溶けるように消えていく。
☆
筋立てといえばこれだけ。これ以上でもなければこれ以下でもない。たったこれだけのことを表現するのに約2時間。あきれかえるほどの緩慢さだ。電子頭脳によるインスタント時代といわれるこのごろ、秒を刻んで利潤追求に汗する現代人の波長には、合わせようもない藝だ。恐ろしく寡黙な運劇であり、その命は“いかに肝心な部分を隠ぺいするか”にあるようにさえ思えてくる。ぼくたちの周辺にどよもす饒舌な文化、われ勝ちに大声で主張する現代文化に一顧だにくれない潔さ。「ここだ、さあ、ここで一気に盛り上がるはず」と目を凝らして待っていても、な~んにも起こらない。それは、大事な表現部分になればなるほど、空無まで動きを削ぎ落していくかのように見える。いわば、そこにある、その存在だけでクライマックスを表現する……、いや、表現するというよりは、敢えて表現しないことで、その存在感が観る側の虚ろな存在感と交感しあう。という仕組みか。知らぬ間にその交感の感覚が不思議に生まれている。(つづく)

初めての観能
4月3日(1980年)、生まれてはじめて能楽なるものを鑑賞する機会を得た。能については、知識といって何もなく、当然、格別な興味があったわけではない。ただ、農民の催事儀式のひとつとしての山形の黒川能について半ば狂的に語る大学時代の友人がいて、わずかにそのことが頭の隅のほうに澱んでいて、機会があれば一度くらい観ておきたいものだと、十余年にわたってわずかに思いをひきずっていた。
さて、仕事を切り上げて渋谷・松濤町の観世能楽堂に駆け込んだのは、狂言「瓜盗人」の最後の場面、「許してくれ、許してくれ」とシテがアドに追われて橋がかりに逃げていく場面。シラけた拍手がパラパラと起こり、半数近くのひとが席を動きだす。節ひとつないヒノキの能舞台には、しばらくは光だけが満ち溢れていた。ぼくが指定されていたのは、脇席の最前列。一の松から数えて二番目である。そこが能観賞にいい場所なのか、それとも悪い場所なのかも知らない。ぐっと足を伸ばすと玉砂利に触れ、乾いた音がせわしげにもみあう。
細々ながら守られている伝統芸能で、今日的な意味をそこに求めても虚しいだけ、という冷めた思いがあったが、五、六百人ほどもいたろうか、客席はすべて埋まっていて、カビ臭い気取り屋やペダンティストばかりではないようだ。
☆
ビ~~~ッ! と笛の鋭い音が数分つづき、ついでポンポンと鼓の音。橋がかりの奥、揚げ幕の影にひとの気配。笛、鼓の音が止むと、笛、小鼓、大鼓、そして8人の地謡連が入ってくる。床を擦る音もない白足袋の動きに目を奪われる。
曲「采女(うねめ)」の大要を記しておこう。僧(ワキ)とふたりの従僧(ワキツレ)が大和の都を巡礼、寺社をめぐり歩いたのち、奈良の春日大社に詣でる。時は弥生十日あまり、風に散ったサクラの花びらが芝草のまだ萌え出ぬ地面を雪のように染め、藤の花がまっ盛り。夜もふけ、しののめ時も近い。空気は動かず、冷えて肌に染み入る。杉の木立を縫って月影がほんのりと浮かぶ。
僧の名乗りにつづいて里の女(前シテ)が現われ、僧に声をかける。女は、付近の名所旧跡を案内してあげようと、僧たちを猿沢の池に導く。
「ちょっとしたわけがあるので、この池のほとりでお経をあげてくださいませんか」と、女。
「それはたやすいことだが、それはいったい誰のための回向(えこう)か」と、僧がたずねる。
女の髪は玉藻のように
「むかしのこと、ある采女がこの池に身を投げて死にました。帝はその女をあわれんで、『吾妹子が寝ぐたれ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞ悲しき』と、歌を詠まれたものです」
「さて、その歌はどこかで聞いたような覚えがある。もっと詳しく話してはもらえまいか」
そこで里の女は、むかしある帝の寵愛を受けていたひとりの采女が、帝のこころ変わりを怨んでこの猿沢の池にとびこんで身を虚しうしたこと、池の藻屑にからまれて浮いた采女の死骸は、この世のものとも思えぬほど美しく、さすがの帝も哀れに思って「吾妹子(わぎもこ)が…」と詠じたことなどを語る。数瞬の重苦しい沈黙がつづく。女は、「じつを申しますと、わたくしこそその采女の幽霊なのです」というと、僧の目のまえから静かに水のなかへ消えていく。≪中入り≫
つぎに、春日の里の男(アイ)が登場し、ふたたび采女の死のいわれを語り、ねんごろな供養を勧めて退場する。僧がお経を唱え、采女を弔っていると、もう一度、池の汀(みぎわ)に采女の霊が浮かびあがる。霊は変性男子として成仏し、極楽浄土に生まれ変わった悦びを述べ、ありし日をしのびながら清雅に舞う(序の舞)。そして、なおも回向をたのんで、また水のなか深くへ溶けるように消えていく。
☆
筋立てといえばこれだけ。これ以上でもなければこれ以下でもない。たったこれだけのことを表現するのに約2時間。あきれかえるほどの緩慢さだ。電子頭脳によるインスタント時代といわれるこのごろ、秒を刻んで利潤追求に汗する現代人の波長には、合わせようもない藝だ。恐ろしく寡黙な運劇であり、その命は“いかに肝心な部分を隠ぺいするか”にあるようにさえ思えてくる。ぼくたちの周辺にどよもす饒舌な文化、われ勝ちに大声で主張する現代文化に一顧だにくれない潔さ。「ここだ、さあ、ここで一気に盛り上がるはず」と目を凝らして待っていても、な~んにも起こらない。それは、大事な表現部分になればなるほど、空無まで動きを削ぎ落していくかのように見える。いわば、そこにある、その存在だけでクライマックスを表現する……、いや、表現するというよりは、敢えて表現しないことで、その存在感が観る側の虚ろな存在感と交感しあう。という仕組みか。知らぬ間にその交感の感覚が不思議に生まれている。(つづく)
2011年04月28日
A/華道から見た日本人の美意識
華道から見た日本人の美意識
時間の遠い深みにあるものを、ひとつずつ、ごまかしなく…
女性のみなさんのうちの多くが茶道や華道の心得をお持ちのことでしょう。わたしのひとつ上の世代の女性は、ほとんど例外なく、お花とお茶、それにお裁縫とお料理を、女学校を卒えるとすぐ女のたしなみとして学び、体得していました。編み物教室に通う人も。そういうお稽古ごとが花嫁修業として広く普及し、定着していましたね。地方都市では、まだ、女子が都会の大学へ出るのはごく稀れな時代でした。日本舞踊をならうお嬢さんに恋にも似たあこがれをいだいたりしたことも…。当時、町にはそういう学校がたくさんあったことを記憶しています。いまはどうでしょうか。茶道、華道というと、なにやら取り澄まして気取った、何派だ、何流だと、いやに閉鎖的、権威主義的で、おカネがらみの印象もあり、庶民感覚からは遠いところのものになっているような…。
小原流華道の先生であり、ときには地域の福祉ヴォランティアをいっしょにすることもある一人の尊敬する知人がおります。60歳代の、謙虚で目立つことはないが、どこか気品があり、欲がなく、たいへん魅力的な女性でして、このひとに招かれるまま、華道の何かも知らず、生まれてはじめて華道展なるものをのぞくことになりました。
そんなわけでして、だれの作品…、といわれても、その知人以外には名前は知らないんです。それぞれの作品の、どこをどう見ればよいのかもわからない。困ったことに、華道の求めるこころなんて考えたこともなく、そもそも「道」というあやしげな伝統というか因襲というか、そういう前近代的なものがいやな気がして、剣道、柔道、弓道、書道、芸道…、どうにも生理的に合わないんですね(といいながら、すこしばかりは茶道、香道にはふれたことがありますが)。「道」だからって、どうしたっていうんだ、めんどうだよ、どうでもいいことじゃないか、と、…ドウしようもないのですが。(あれっ、戯作気分がまだ抜けない)

無知の恥をしのんでその知人に聞いたところによれば、なかなか華道も奥が深いようなんですね。話してくれたことをわたしが十分理解したとはとてもいえないのですが、およそ以下のようなことらしいのです。
活け花にあっても、求めるところは人間の生きるたたずまいと同じで、ひとに目鼻があり、手足があるように、それがある微妙なバランスをもって美しい形を生み出す。そうしたなかでも、ひとつの芯がないと表現にならないのだそうです。表現世界の柱になる個性的なシン。女性が、お化粧でいくら化けても、ほんとうの美しさには届かない。髪や耳や首をどれほど高価な宝石で飾っても、飾れば飾るほどチンケなものになるだけ。センスというものはそういう虚飾とは関係がない。活け花にあっては、小枝ばかりをきかせてキンキラに飾りたてても、生彩ある美しさは生み出せない。
云っていることは、まさに人間についてなんですね。才能に恵まれ、たくさんのすぐれた能力をもち、りっぱな教育も受けてゆたかな教養と知識をもちながら、ほんとうの人間のシン(心、芯)を備えていないひとには魅力がない、ということ。まいりますね、こういうことを云われてしまうと。人がらをしのばせる人間の滋味。さて、わたしのシンにあるものって、なんだろう。そのシンを磨き、強めるために、わたしはこの1年、何をしなければならないのかを考えるひとときでした(すぐ忘れてしまうのですが)。
ひとつわかったことは、急ぎすぎないこと。急いで大事なことを見すごしてしまわないこと。わかりもしないのにわかったふりをしないこと。以前大騒ぎになった事件に、マンションやホテルの建設に際しての耐震強度偽装という、人間の良心を疑わせる問題がありました。その根本にあるのが、急ぎすぎたこと、ひとを欺きごまかしたこと、自分の利益に奔走するあまり人間のシンを忘れたか捨て去ったかしたこと、自分の仕事の誇りを見失ったこと…、ではなかったか。
早いことはちっともえらいことじゃない。手帳の予定表を真っ黒にして東奔西走することを充実と勘違いする愚かしさは犯すまい。ゆっくりでいい、一つひとつ、じっくり時間をかけて考え、新しいとされるものに流されないこと。そう、時間の遠い遠い深みにある真実にしっかり目を向け、視点をずらさず見つめなおし、ごまかしなく考えてみること。そう見てくると、これは普遍的な教育観、人生観でもあることに気づきます、…いそがないこと、ごまかさないこと。
やはり、プリミティヴな地平、古典に還るということかなあ。さまざまな「道」についても、わけもわからぬまま忌避しないで、その底にある哲理の輝きを汲み上げる努力をしなければ…。
〔To: Cさん〕
自分の中心軸をどこにすえるか、ゼニカネで動くのでなく、ほんとうに自分の求めるものが何かを意識しながら活動することが必要なようで(どれほどすぐれた能力に恵まれていても、限界はありますので)、無用なものをどんどん削ぎ落としてすっきりと個性的に立つすがたのほうが美しいんじゃないでしょうかね。能力をひけらかすかのように何でもかでも中途半端に受け入れてばたばた忙しがっているすがたは、どう見ても美しくない。
〔To: Hさん〕
活け花につかうあのケンザン、漢字では「剣山」と書くようですね。太い針が逆さに植え込んであり、それで花の茎を固定させるやつ。どうしてなのか、あれに、少年はふしぎな魅力を感じるんです、トゲトゲがあってチクリと痛いけれど、手にもつとズシリとした手応えがあって。これを武器にしてケンカをしたら、もうだれにも負けない、…そんな気がして、生意気なアイツをこんどおんおん泣かしてやるぞ、なんてね。
小学校の低学年生だったころでした、私立の女子高校へいっている上の姉が持っているお花のお稽古でつかう楕円の形をしたケンザンがむしょうに欲しくなってしまって、こっそりくすねて自分の部屋の秘密の場所に隠し持っていたり、ランドセルの底にしのばせて学校へ持って行ったりしたことがありました。
さて、そのうち姉が、ない、ない、といって騒ぎだし、探すこと、探すこと! 泣き泣き探すうち、ついに疑いが末っ子のわたしに向けられます。ウソをそんなにじょうずにつけるほどの知恵はありませんので、たちまち白状することになります。揚句、姉には、ボカボカ、ぼかぼか、頭がイビツになるほど滅茶苦茶になぐられたうえ、親には倉に押し込められるという最悪のおしおきを受け、やけに元気に走りまわるネズミの声におびえながら半日をすごした記憶があります。
活け花の記憶といえば、そんなことが。
時間の遠い深みにあるものを、ひとつずつ、ごまかしなく…
女性のみなさんのうちの多くが茶道や華道の心得をお持ちのことでしょう。わたしのひとつ上の世代の女性は、ほとんど例外なく、お花とお茶、それにお裁縫とお料理を、女学校を卒えるとすぐ女のたしなみとして学び、体得していました。編み物教室に通う人も。そういうお稽古ごとが花嫁修業として広く普及し、定着していましたね。地方都市では、まだ、女子が都会の大学へ出るのはごく稀れな時代でした。日本舞踊をならうお嬢さんに恋にも似たあこがれをいだいたりしたことも…。当時、町にはそういう学校がたくさんあったことを記憶しています。いまはどうでしょうか。茶道、華道というと、なにやら取り澄まして気取った、何派だ、何流だと、いやに閉鎖的、権威主義的で、おカネがらみの印象もあり、庶民感覚からは遠いところのものになっているような…。
小原流華道の先生であり、ときには地域の福祉ヴォランティアをいっしょにすることもある一人の尊敬する知人がおります。60歳代の、謙虚で目立つことはないが、どこか気品があり、欲がなく、たいへん魅力的な女性でして、このひとに招かれるまま、華道の何かも知らず、生まれてはじめて華道展なるものをのぞくことになりました。
そんなわけでして、だれの作品…、といわれても、その知人以外には名前は知らないんです。それぞれの作品の、どこをどう見ればよいのかもわからない。困ったことに、華道の求めるこころなんて考えたこともなく、そもそも「道」というあやしげな伝統というか因襲というか、そういう前近代的なものがいやな気がして、剣道、柔道、弓道、書道、芸道…、どうにも生理的に合わないんですね(といいながら、すこしばかりは茶道、香道にはふれたことがありますが)。「道」だからって、どうしたっていうんだ、めんどうだよ、どうでもいいことじゃないか、と、…ドウしようもないのですが。(あれっ、戯作気分がまだ抜けない)
無知の恥をしのんでその知人に聞いたところによれば、なかなか華道も奥が深いようなんですね。話してくれたことをわたしが十分理解したとはとてもいえないのですが、およそ以下のようなことらしいのです。
活け花にあっても、求めるところは人間の生きるたたずまいと同じで、ひとに目鼻があり、手足があるように、それがある微妙なバランスをもって美しい形を生み出す。そうしたなかでも、ひとつの芯がないと表現にならないのだそうです。表現世界の柱になる個性的なシン。女性が、お化粧でいくら化けても、ほんとうの美しさには届かない。髪や耳や首をどれほど高価な宝石で飾っても、飾れば飾るほどチンケなものになるだけ。センスというものはそういう虚飾とは関係がない。活け花にあっては、小枝ばかりをきかせてキンキラに飾りたてても、生彩ある美しさは生み出せない。
云っていることは、まさに人間についてなんですね。才能に恵まれ、たくさんのすぐれた能力をもち、りっぱな教育も受けてゆたかな教養と知識をもちながら、ほんとうの人間のシン(心、芯)を備えていないひとには魅力がない、ということ。まいりますね、こういうことを云われてしまうと。人がらをしのばせる人間の滋味。さて、わたしのシンにあるものって、なんだろう。そのシンを磨き、強めるために、わたしはこの1年、何をしなければならないのかを考えるひとときでした(すぐ忘れてしまうのですが)。
ひとつわかったことは、急ぎすぎないこと。急いで大事なことを見すごしてしまわないこと。わかりもしないのにわかったふりをしないこと。以前大騒ぎになった事件に、マンションやホテルの建設に際しての耐震強度偽装という、人間の良心を疑わせる問題がありました。その根本にあるのが、急ぎすぎたこと、ひとを欺きごまかしたこと、自分の利益に奔走するあまり人間のシンを忘れたか捨て去ったかしたこと、自分の仕事の誇りを見失ったこと…、ではなかったか。
早いことはちっともえらいことじゃない。手帳の予定表を真っ黒にして東奔西走することを充実と勘違いする愚かしさは犯すまい。ゆっくりでいい、一つひとつ、じっくり時間をかけて考え、新しいとされるものに流されないこと。そう、時間の遠い遠い深みにある真実にしっかり目を向け、視点をずらさず見つめなおし、ごまかしなく考えてみること。そう見てくると、これは普遍的な教育観、人生観でもあることに気づきます、…いそがないこと、ごまかさないこと。
やはり、プリミティヴな地平、古典に還るということかなあ。さまざまな「道」についても、わけもわからぬまま忌避しないで、その底にある哲理の輝きを汲み上げる努力をしなければ…。
〔To: Cさん〕
自分の中心軸をどこにすえるか、ゼニカネで動くのでなく、ほんとうに自分の求めるものが何かを意識しながら活動することが必要なようで(どれほどすぐれた能力に恵まれていても、限界はありますので)、無用なものをどんどん削ぎ落としてすっきりと個性的に立つすがたのほうが美しいんじゃないでしょうかね。能力をひけらかすかのように何でもかでも中途半端に受け入れてばたばた忙しがっているすがたは、どう見ても美しくない。
〔To: Hさん〕
活け花につかうあのケンザン、漢字では「剣山」と書くようですね。太い針が逆さに植え込んであり、それで花の茎を固定させるやつ。どうしてなのか、あれに、少年はふしぎな魅力を感じるんです、トゲトゲがあってチクリと痛いけれど、手にもつとズシリとした手応えがあって。これを武器にしてケンカをしたら、もうだれにも負けない、…そんな気がして、生意気なアイツをこんどおんおん泣かしてやるぞ、なんてね。
小学校の低学年生だったころでした、私立の女子高校へいっている上の姉が持っているお花のお稽古でつかう楕円の形をしたケンザンがむしょうに欲しくなってしまって、こっそりくすねて自分の部屋の秘密の場所に隠し持っていたり、ランドセルの底にしのばせて学校へ持って行ったりしたことがありました。
さて、そのうち姉が、ない、ない、といって騒ぎだし、探すこと、探すこと! 泣き泣き探すうち、ついに疑いが末っ子のわたしに向けられます。ウソをそんなにじょうずにつけるほどの知恵はありませんので、たちまち白状することになります。揚句、姉には、ボカボカ、ぼかぼか、頭がイビツになるほど滅茶苦茶になぐられたうえ、親には倉に押し込められるという最悪のおしおきを受け、やけに元気に走りまわるネズミの声におびえながら半日をすごした記憶があります。
活け花の記憶といえば、そんなことが。