2025年01月23日
F/スタインベック「二十日ネズミと人間」
>スタインベック「二十日ネズミと人間」

◆失われた世代に失われたものは…
低能ではあるが、ウソや誤魔化しを知らぬ純真無垢な怪力の大男レニー・スモール、この薄バカな男、それと、ともに農場を転々とわたり歩く幼馴染みの農業労働者ジョージ・ミルトンがいる。このふたりを介して、人間の夢を見せてくれる作品。夢には大きいものと小さいものの違いはない。その大男レニーに付き添い、度重なる失敗をジョージがかばい合いながら、下層の貧しいものたちのなかに育まれていくつつましい夢と、苦しい生活に耐えている日雇い農夫の奇妙な、しかし確かな友情が見られる。大男レニーは、なんと二十日ネズミのような小さい命や、女のひとの肌の柔らかいすべすべした感触を好む繊細さももっている。その好みのために心ならずも、小犬や女を殺害してしまうという悲劇が。時間するとわずか3時間のなかの出来事を通じてその世界は展開する。レニーの天衣無縫な無邪気さが救い。
◆夢はそのたび崩れても…
土地に密着しつつ生きる人びとの生活が、写実と象徴的な手法を交えながら描き出される社会的リアリズム。そこにはユーモアがあり哀愁をたたえた滋味がある。農場から農場へ渡り歩く浮浪農民“オーキー”の、いずれは自分の土地を持ちたいとの夢、自由で独立した生活へ寄せる夢の果敢ないすがたに、アメリカ商業主義への強い怒りが込められているが、そうした主観を抑えて、あくまでも抑えの利いた冷静な筆致で表現されていく。夢はいつも崩壊してしまうが、醒めて無に帰しながらもなお夢を見ずにはいられない人間の悲ししいサガ。その無邪気な夢を嘲笑することなく、本気で受け入れる仲間同士がいる。
動物たちが数多く登場するのは、この作家のひとつの特徴。他の作品「赤い小馬」や「怒りの葡萄」「遁走」「蛇」などにも。身近な家畜類だけでなく、マウンテンライオンやハゲタカ、ガラガラへび、山猫なども。それらは単に自然の背景ではなく、人間と深く結びつき、大自然と混然一体になっている。
◆〔その時代と文学状況〕
J.スタインベックは1902~68年を生きたアメリカの代表的な作家。「二十日ネズミと人間」Of Mice and Menは1937年に発表されている。1929年、ニューヨーク市場の大暴落があり大不況の時代はまだ続いている。1933年にその不況打開のためフランクリン・ル-ズベルト大統領によるニューディール政策がとられ、つづいて1939年9月には第二次世界大戦に突入する。先が見えず、人生の意義を疑い、時代に幻滅と喪失を感じ、社会と一般大衆には背を向け、創作によって自我を表現しようすることを目的にした「失われた世代」Lost Generationに。ここに登場したのがアメリカ文学の三人の巨星、フォークナーでありヘミングウェイであり、このスタインベックである。フォークナーの「響きと怒り」「野生の棕櫚」、ヘミングウェイの「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」はそのスタイルを“ハードホイルド”と呼ばれ、アメリカ文学の新しい風をもたらし、とりわけ広く迎えられた。そのほかにも、1930年代の社会的な混乱のなかで、アメリカ資本主義に対する痛烈な批判の書、大作の「USA」を書いたドス・パソスや、南部農民の無知と怠慢を描き、アメリカ社会の患部を衝く「タバコ・ロード」を著わしたコードウェル、「人間喜劇」のサロイヤンなども。スタインベックの「勝算なき戦い」(1936年)、リンゴ採取人のストライキに取材したこの作はつぎの「怒りのぶどう」へとつながって結実、これぞ1930年代アメリカ文学の最大傑作とされ、1962年にノーベル文学賞を受けている。

◆失われた世代に失われたものは…
低能ではあるが、ウソや誤魔化しを知らぬ純真無垢な怪力の大男レニー・スモール、この薄バカな男、それと、ともに農場を転々とわたり歩く幼馴染みの農業労働者ジョージ・ミルトンがいる。このふたりを介して、人間の夢を見せてくれる作品。夢には大きいものと小さいものの違いはない。その大男レニーに付き添い、度重なる失敗をジョージがかばい合いながら、下層の貧しいものたちのなかに育まれていくつつましい夢と、苦しい生活に耐えている日雇い農夫の奇妙な、しかし確かな友情が見られる。大男レニーは、なんと二十日ネズミのような小さい命や、女のひとの肌の柔らかいすべすべした感触を好む繊細さももっている。その好みのために心ならずも、小犬や女を殺害してしまうという悲劇が。時間するとわずか3時間のなかの出来事を通じてその世界は展開する。レニーの天衣無縫な無邪気さが救い。
◆夢はそのたび崩れても…
土地に密着しつつ生きる人びとの生活が、写実と象徴的な手法を交えながら描き出される社会的リアリズム。そこにはユーモアがあり哀愁をたたえた滋味がある。農場から農場へ渡り歩く浮浪農民“オーキー”の、いずれは自分の土地を持ちたいとの夢、自由で独立した生活へ寄せる夢の果敢ないすがたに、アメリカ商業主義への強い怒りが込められているが、そうした主観を抑えて、あくまでも抑えの利いた冷静な筆致で表現されていく。夢はいつも崩壊してしまうが、醒めて無に帰しながらもなお夢を見ずにはいられない人間の悲ししいサガ。その無邪気な夢を嘲笑することなく、本気で受け入れる仲間同士がいる。
動物たちが数多く登場するのは、この作家のひとつの特徴。他の作品「赤い小馬」や「怒りの葡萄」「遁走」「蛇」などにも。身近な家畜類だけでなく、マウンテンライオンやハゲタカ、ガラガラへび、山猫なども。それらは単に自然の背景ではなく、人間と深く結びつき、大自然と混然一体になっている。
◆〔その時代と文学状況〕
J.スタインベックは1902~68年を生きたアメリカの代表的な作家。「二十日ネズミと人間」Of Mice and Menは1937年に発表されている。1929年、ニューヨーク市場の大暴落があり大不況の時代はまだ続いている。1933年にその不況打開のためフランクリン・ル-ズベルト大統領によるニューディール政策がとられ、つづいて1939年9月には第二次世界大戦に突入する。先が見えず、人生の意義を疑い、時代に幻滅と喪失を感じ、社会と一般大衆には背を向け、創作によって自我を表現しようすることを目的にした「失われた世代」Lost Generationに。ここに登場したのがアメリカ文学の三人の巨星、フォークナーでありヘミングウェイであり、このスタインベックである。フォークナーの「響きと怒り」「野生の棕櫚」、ヘミングウェイの「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」はそのスタイルを“ハードホイルド”と呼ばれ、アメリカ文学の新しい風をもたらし、とりわけ広く迎えられた。そのほかにも、1930年代の社会的な混乱のなかで、アメリカ資本主義に対する痛烈な批判の書、大作の「USA」を書いたドス・パソスや、南部農民の無知と怠慢を描き、アメリカ社会の患部を衝く「タバコ・ロード」を著わしたコードウェル、「人間喜劇」のサロイヤンなども。スタインベックの「勝算なき戦い」(1936年)、リンゴ採取人のストライキに取材したこの作はつぎの「怒りのぶどう」へとつながって結実、これぞ1930年代アメリカ文学の最大傑作とされ、1962年にノーベル文学賞を受けている。
2024年11月16日
F/S.モームの憂鬱
サマーセット・モームを追って

◆S.モームの憂鬱
William Somerset Maugham 1874年、4人兄弟の末っ子としてパリのシャンゼリゼ近くで生まれる(~1965)。アイルランド系の血筋を引き、父はイギリス大使館の顧問弁護士、母は王統の血を引く美女だったが、モーム8歳のとき結核で死去。父も10歳のとき癌で死亡。イギリス・ケント州で牧師をしていた叔父のもとに引き取られる。
日本の作家、樋口一葉(1872~96)、島崎藤村(1872~1943)、泉鏡花(1873~1939)、柳田国男(1853~1962)、与謝野晶子(1878~1942)らとほぼ同時代人。
どもりで背が低いことをコンプレックスにし、女ぎらいになったという。このことの反映か、作品は懐疑的で、人間の不可解性、謎の多い人間の魂を抉りとり、人間を矛盾の塊として描きつづけることになる、…物質主義者であったり無神論者であったり、拝金主義者であったり、女ぎらいであったりする人物像……。「金というものは第六感みたいなもので、これなくしては他の五感も完全な働きはできぬ」、金なしでは恋愛さえもできない、といった冷嘲的な諷刺劇ふうの戯曲を初期のころはさかんに書いた。
◆宇宙の果てまで彷徨う男の魂
40歳のとき、第一次世界大戦の従軍、スイス・ジュネーブでスパイ活動。時間的な余裕があり、執筆活動をはじめて『人間の絆』を書きあげ出版したが、評判にはならず。のちに健康を害して渡米、ハワイ、サモア、タヒチなどの南海諸島にあそんだ。このときポール・ゴーギャンの生き方を知り調査、セザンヌ、ランボー、ゴッホら、時の芸術家の生き方とからめて『月と六ペンス』の想を練る。「男の魂は宇宙のさいはてまでもさまよって飽きることを知らないが、女はそいつを家計簿の枠の中に閉じ込めてしまおうとする」といった見方も。
この作品では、チャールズ・ストリックランドという四十男、ロンドンの株式取引所員のすがたが描かれる。仕事に失望して突然家出し、絵を描きたいとパリへ。そして47歳でタヒチ島にわたり、土地の娘アタと原始林のなかで生活、風土病のらい病にかかって死ぬが、死ぬ前に、盲目になって家の壁面じゅうに「天地創造」を描き、死んだらそれをすっかり焼却させる。
アタは、男の邪魔をせず、ひたすら男に尽くす奉仕型の女性、ほかに馴染んだ女性に、恋愛希求型のブランチ・ストループ、見栄っ張りで社交型、ボヘミアンタイプのエイミーがいた。女ぎらいの作者の心底には、無垢なまでに自分に尽くすアタ以外は、古靴のように捨てるほかなかった。「月」とは何か? 人間を狂気にする芸術的蠱惑・魔術的情熱であり、「六ペンス」とは、古草履のように主人公が否定し棄てた世俗的な因襲と絆のことであったろうか。

◆皮肉と諧謔に満ちた喜劇的な世界
ゴ―ギャンをモデルにしたこの『月と六ペンス』を出版すると、いきなりベストセラーに。その文章の特徴は単純で平明、しかしそこに微妙な陰影をもっているというスタイル。この作品の発刊を機に『人間の絆』も見直され、1910年代の世界の流行作家の一人となる。これは半自伝的な作品で、当初はほとんど評判にならなかったが、「これを書くことにより、自分の中のものが浄化され、本格的な作家への道に立つことができた」。以後、数々の旅行記や小品短篇集、長編の『お菓子とビール』『クリスマス休暇』『剃刀の刃』、自伝的評論『要約The Summing Up』、そして最後の長編『カタリーナ』などを書き残した。
S.モームの人生哲学(『人間の絆』より)
「人生も無意味なものなれば、人間の生もまた虚しい営みに過ぎぬ。生まれようと、生まれまいと、生きようと、死のうと、それは何のことでもない。生の無意味、死もまた無意味……あたかも絨毯の織匠が、ただその審美感の喜びを満足させるためだけにその模様を織りだしたように、人もまたそのように人生を生きればよい。畢竟、人生は一つの模様意匠にすぎないと、そう考えてよいのだ。特にあることをしなければならないという意味もなければ、必要もない。ただすべては彼自身の喜びのためにするのだ。……フィリップは幸福への願望を棄てることによって、彼の最後の迷妄を振り落とした」。後年に書かれた評論“The Summing Up”にも、これと同様の、冷淡に突き放したような記述が見られる。
作家生活にピリオドを打ったあとの最晩年には、極東方面を旅行、東京や京都に4週間ほど滞在したこともあるが、91歳、南仏ニースのアングロ・アメリカン病院にて死亡。

◆S.モームの憂鬱
William Somerset Maugham 1874年、4人兄弟の末っ子としてパリのシャンゼリゼ近くで生まれる(~1965)。アイルランド系の血筋を引き、父はイギリス大使館の顧問弁護士、母は王統の血を引く美女だったが、モーム8歳のとき結核で死去。父も10歳のとき癌で死亡。イギリス・ケント州で牧師をしていた叔父のもとに引き取られる。
日本の作家、樋口一葉(1872~96)、島崎藤村(1872~1943)、泉鏡花(1873~1939)、柳田国男(1853~1962)、与謝野晶子(1878~1942)らとほぼ同時代人。
どもりで背が低いことをコンプレックスにし、女ぎらいになったという。このことの反映か、作品は懐疑的で、人間の不可解性、謎の多い人間の魂を抉りとり、人間を矛盾の塊として描きつづけることになる、…物質主義者であったり無神論者であったり、拝金主義者であったり、女ぎらいであったりする人物像……。「金というものは第六感みたいなもので、これなくしては他の五感も完全な働きはできぬ」、金なしでは恋愛さえもできない、といった冷嘲的な諷刺劇ふうの戯曲を初期のころはさかんに書いた。
◆宇宙の果てまで彷徨う男の魂
40歳のとき、第一次世界大戦の従軍、スイス・ジュネーブでスパイ活動。時間的な余裕があり、執筆活動をはじめて『人間の絆』を書きあげ出版したが、評判にはならず。のちに健康を害して渡米、ハワイ、サモア、タヒチなどの南海諸島にあそんだ。このときポール・ゴーギャンの生き方を知り調査、セザンヌ、ランボー、ゴッホら、時の芸術家の生き方とからめて『月と六ペンス』の想を練る。「男の魂は宇宙のさいはてまでもさまよって飽きることを知らないが、女はそいつを家計簿の枠の中に閉じ込めてしまおうとする」といった見方も。
この作品では、チャールズ・ストリックランドという四十男、ロンドンの株式取引所員のすがたが描かれる。仕事に失望して突然家出し、絵を描きたいとパリへ。そして47歳でタヒチ島にわたり、土地の娘アタと原始林のなかで生活、風土病のらい病にかかって死ぬが、死ぬ前に、盲目になって家の壁面じゅうに「天地創造」を描き、死んだらそれをすっかり焼却させる。
アタは、男の邪魔をせず、ひたすら男に尽くす奉仕型の女性、ほかに馴染んだ女性に、恋愛希求型のブランチ・ストループ、見栄っ張りで社交型、ボヘミアンタイプのエイミーがいた。女ぎらいの作者の心底には、無垢なまでに自分に尽くすアタ以外は、古靴のように捨てるほかなかった。「月」とは何か? 人間を狂気にする芸術的蠱惑・魔術的情熱であり、「六ペンス」とは、古草履のように主人公が否定し棄てた世俗的な因襲と絆のことであったろうか。

◆皮肉と諧謔に満ちた喜劇的な世界
ゴ―ギャンをモデルにしたこの『月と六ペンス』を出版すると、いきなりベストセラーに。その文章の特徴は単純で平明、しかしそこに微妙な陰影をもっているというスタイル。この作品の発刊を機に『人間の絆』も見直され、1910年代の世界の流行作家の一人となる。これは半自伝的な作品で、当初はほとんど評判にならなかったが、「これを書くことにより、自分の中のものが浄化され、本格的な作家への道に立つことができた」。以後、数々の旅行記や小品短篇集、長編の『お菓子とビール』『クリスマス休暇』『剃刀の刃』、自伝的評論『要約The Summing Up』、そして最後の長編『カタリーナ』などを書き残した。
S.モームの人生哲学(『人間の絆』より)
「人生も無意味なものなれば、人間の生もまた虚しい営みに過ぎぬ。生まれようと、生まれまいと、生きようと、死のうと、それは何のことでもない。生の無意味、死もまた無意味……あたかも絨毯の織匠が、ただその審美感の喜びを満足させるためだけにその模様を織りだしたように、人もまたそのように人生を生きればよい。畢竟、人生は一つの模様意匠にすぎないと、そう考えてよいのだ。特にあることをしなければならないという意味もなければ、必要もない。ただすべては彼自身の喜びのためにするのだ。……フィリップは幸福への願望を棄てることによって、彼の最後の迷妄を振り落とした」。後年に書かれた評論“The Summing Up”にも、これと同様の、冷淡に突き放したような記述が見られる。
作家生活にピリオドを打ったあとの最晩年には、極東方面を旅行、東京や京都に4週間ほど滞在したこともあるが、91歳、南仏ニースのアングロ・アメリカン病院にて死亡。
2024年05月05日
F/「カルメン」メリメ
「カルメン」メリメ

Prosper Mèrimèe(1803~1870)、パリのブルジョワ家庭の一人息子として生まれる。父は画家であり化学者。19歳のときスタンダールと知り合い、以降、親交を結ぶ。30歳のとき、ジョルジュ・サンドと恋愛に走るが、失敗する。代表作にこの『カルメン』のほか『エトルリアの壺』『コロンバ』など。博学多才、外国語にも通じ、レジョン・ドヌール勲章を2度授与されるなど高く評価されたが、生涯、家を持つことはなかった。晩年にはプーシキン、ツルゲーネフなどロシア近代文学の翻訳と紹介につとめた。
自由か、それとも愛か…
スペイン旅行中の、フランスの考古学者の「私」が、指名手配され追われている盗賊ドン・ホセと出会う。盗賊とうすうすわかっていたが、私は何気ない態度でこの男と食事したり葉巻たばこを与えるなどして近づき、同じ宿で一夜を過ごす。ドン・ホセを追う騎兵隊が宿に迫り踏み込むのを知り、ホセを逃亡させてやる。
のちに、私はカルメンと出会い、金時計をスリ取られる。この魅惑の女が私とホセとの接点になるのを知るのは、獄に捕われ死刑を待つ身になっているホセを訪ねたとき。このときにホセから聞いたという形式で進められる物語。
バスク地方出身の士官(騎兵伍長)のドン・ホセ。セビリアのタバコ工場の警備にあたっていたとき、カルメンと運命的に出会う。仲間を傷つけたジプシー女で、よくも悪くも評判になる女。その魅力と熱情に惹かれ、愛に溺れる相手の情人を次つぎに殺したり、密輸業者にさせたり無法者の仲間や盗賊の群れに身を投じさせたりして破滅させる。そのスペイン的な激情と燃えるような情熱に彩られたストーリィ。
クライマックスの会話から。「わたしたちのあいだでは、すべてがもう終わってしまったのよ。あんたはわたしのロム(夫)だから、自分のロミ(妻)を殺す権利があるわ。だけどこのカルメンはいつだって自由な女よ。カリ(ジプシー)として生まれたカルメンはカリとして死んでいきたいのよ」「それほどリュカス(闘牛士・ピカドール)が好きなのか?」「そうよ、わたし、あの男に惚れたのよ。あんたに惚れたと同じように、一時はね。でも、あんたのときほどではなかったかもしれない。いまわたしはあんたに惚れた自分を憎んでいる」
自由をとるか、それとも愛をとるか……。それは近代人の大きな宿命的なテーマだろう。このテーマのなかで生じる悲劇が、純粋な形で、何の衒いもなく、ぐいぐいと描かれていく。ボヘミアン(自由人)の概念と宿命の女の概念とを結びつけている物語世界。ジプシーの自由奔放さと不可解で隠微な犯罪的なイメージ、それとスペインのエキゾチックな風光とを巧みに取り交ぜれていることがわかる。それは、20世紀に入り、自由を求める知識層と新しい奔放な若い世代に圧倒的に迎い入れられ、神話的な作品とされるようになった。
ビゼーのオペラで、一躍、世界へ
メリメの小説は簡明にしてストレート、構成がしっかりしていて話がテンポよくまっすぐ展開する。『カルメン』の訳者・堀口大学はメリメの文学をこう語っている。――異常な性格と異常な事件を取りあげるのがこの作家の好み。点描派風の簡単なタッチを用い、風物や人物を明快に描きだすのがこの作家の文章の妙。歴史および考古学上の知識に裏づけられたこの作家独特の、濃厚にして正確な地方色の表現と、きわめてロマネスクな切迫した事件を描きながらも、かつ古典的で冷静な落ち着きを守りつつ、また傍観者としての態度も失わない潔癖さがあり、メリメの特徴はことごとくこの一作に集められたかの感がある。――
メリメは1830年に初めてスペインを訪れた。さらに10年後にも再度訪れているが,『カルメン』の素材は最初のスペイン旅行中に得たもの。その旅行中、知り合った別懇の仲のデ・モンチナ伯爵夫人マヌエラから聞いた話。女のために軍を脱走し、嫉妬から人殺しをして郷里を売り、処刑されたひとりの侠賊の話で、相手のその女を、かねてよりメリメが興味を寄せていたジプシーにして作品化したもの。発表当初は批評家たちに完全に無視されたが、のちにビゼーがこれをオペラにすることによって、一挙に世界的に有名なものとなった。

ジョルジュ・゛ビゼー
4幕もののオペラ「カルメン」の「ハバネラ」や「闘牛士の歌」「ジプシーの歌」
「花の歌」なとはあまりにも有名。オペラ史のエポックとされている
女に身をあやまって盗賊にまでなったドン・ホセ。救いのない破滅な結末ながら、彼は回心してアメリカへわたり、いっしょに一からやり直そうとカルメンに懇願する。しかし、カルメンは徹頭徹尾、それを拒絶する。一貫して自分の中心軸をずらすことのないこの女の勁さ、そのユニークな個性にふしぎな感動がある。

オペラの主舞台となるタバコ工場の石版画


Prosper Mèrimèe(1803~1870)、パリのブルジョワ家庭の一人息子として生まれる。父は画家であり化学者。19歳のときスタンダールと知り合い、以降、親交を結ぶ。30歳のとき、ジョルジュ・サンドと恋愛に走るが、失敗する。代表作にこの『カルメン』のほか『エトルリアの壺』『コロンバ』など。博学多才、外国語にも通じ、レジョン・ドヌール勲章を2度授与されるなど高く評価されたが、生涯、家を持つことはなかった。晩年にはプーシキン、ツルゲーネフなどロシア近代文学の翻訳と紹介につとめた。
自由か、それとも愛か…
スペイン旅行中の、フランスの考古学者の「私」が、指名手配され追われている盗賊ドン・ホセと出会う。盗賊とうすうすわかっていたが、私は何気ない態度でこの男と食事したり葉巻たばこを与えるなどして近づき、同じ宿で一夜を過ごす。ドン・ホセを追う騎兵隊が宿に迫り踏み込むのを知り、ホセを逃亡させてやる。
のちに、私はカルメンと出会い、金時計をスリ取られる。この魅惑の女が私とホセとの接点になるのを知るのは、獄に捕われ死刑を待つ身になっているホセを訪ねたとき。このときにホセから聞いたという形式で進められる物語。
バスク地方出身の士官(騎兵伍長)のドン・ホセ。セビリアのタバコ工場の警備にあたっていたとき、カルメンと運命的に出会う。仲間を傷つけたジプシー女で、よくも悪くも評判になる女。その魅力と熱情に惹かれ、愛に溺れる相手の情人を次つぎに殺したり、密輸業者にさせたり無法者の仲間や盗賊の群れに身を投じさせたりして破滅させる。そのスペイン的な激情と燃えるような情熱に彩られたストーリィ。
クライマックスの会話から。「わたしたちのあいだでは、すべてがもう終わってしまったのよ。あんたはわたしのロム(夫)だから、自分のロミ(妻)を殺す権利があるわ。だけどこのカルメンはいつだって自由な女よ。カリ(ジプシー)として生まれたカルメンはカリとして死んでいきたいのよ」「それほどリュカス(闘牛士・ピカドール)が好きなのか?」「そうよ、わたし、あの男に惚れたのよ。あんたに惚れたと同じように、一時はね。でも、あんたのときほどではなかったかもしれない。いまわたしはあんたに惚れた自分を憎んでいる」
自由をとるか、それとも愛をとるか……。それは近代人の大きな宿命的なテーマだろう。このテーマのなかで生じる悲劇が、純粋な形で、何の衒いもなく、ぐいぐいと描かれていく。ボヘミアン(自由人)の概念と宿命の女の概念とを結びつけている物語世界。ジプシーの自由奔放さと不可解で隠微な犯罪的なイメージ、それとスペインのエキゾチックな風光とを巧みに取り交ぜれていることがわかる。それは、20世紀に入り、自由を求める知識層と新しい奔放な若い世代に圧倒的に迎い入れられ、神話的な作品とされるようになった。
ビゼーのオペラで、一躍、世界へ
メリメの小説は簡明にしてストレート、構成がしっかりしていて話がテンポよくまっすぐ展開する。『カルメン』の訳者・堀口大学はメリメの文学をこう語っている。――異常な性格と異常な事件を取りあげるのがこの作家の好み。点描派風の簡単なタッチを用い、風物や人物を明快に描きだすのがこの作家の文章の妙。歴史および考古学上の知識に裏づけられたこの作家独特の、濃厚にして正確な地方色の表現と、きわめてロマネスクな切迫した事件を描きながらも、かつ古典的で冷静な落ち着きを守りつつ、また傍観者としての態度も失わない潔癖さがあり、メリメの特徴はことごとくこの一作に集められたかの感がある。――
メリメは1830年に初めてスペインを訪れた。さらに10年後にも再度訪れているが,『カルメン』の素材は最初のスペイン旅行中に得たもの。その旅行中、知り合った別懇の仲のデ・モンチナ伯爵夫人マヌエラから聞いた話。女のために軍を脱走し、嫉妬から人殺しをして郷里を売り、処刑されたひとりの侠賊の話で、相手のその女を、かねてよりメリメが興味を寄せていたジプシーにして作品化したもの。発表当初は批評家たちに完全に無視されたが、のちにビゼーがこれをオペラにすることによって、一挙に世界的に有名なものとなった。

4幕もののオペラ「カルメン」の「ハバネラ」や「闘牛士の歌」「ジプシーの歌」
「花の歌」なとはあまりにも有名。オペラ史のエポックとされている
女に身をあやまって盗賊にまでなったドン・ホセ。救いのない破滅な結末ながら、彼は回心してアメリカへわたり、いっしょに一からやり直そうとカルメンに懇願する。しかし、カルメンは徹頭徹尾、それを拒絶する。一貫して自分の中心軸をずらすことのないこの女の勁さ、そのユニークな個性にふしぎな感動がある。

オペラの主舞台となるタバコ工場の石版画
