2012年04月12日
✦平清盛と後白河院と「梁塵秘抄」
遊びをせんとや生まれけむ
>いまのNHK大河ドラマ「平清盛」のタイトルバックに流れているうた「遊びをせんとや生まれけむ…」は後白河上皇がつくった「梁塵秘抄」から採ったものとか。〔P〕
----------------------------
もうちょっと正確には、
遊びをせんとや生まれけむ 戯(たはぶ)れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ
「梁塵秘抄」359番の歌ですね。
「梁塵秘抄」は大天狗といわれる後白河上皇が、「つくった」というよりは、周囲のものに命じて当時の俗謡(今様)をあつめさせ、つくらせたということでしょうね。平家か源氏か、朝廷はどうなる、という世がひっくりかえるようなときに、のんびりとこういう他愛もない(!)信仰と風俗と愛欲の歌謡をつくらせてうつつを抜かしていたタヌキじじいぶりがおもしろいですよね。
遊びをせんとや生まれけむ…
をめぐっては,以前から学説が真っ二つに分れているようです。ふつうには、親の目にうつる無邪気な子どものすがたであり、ほのぼのとしたやさしさが感じられるとするもの。これから背負わねばならない長く重い業苦とは別に、健やかな子どもの未来に光を見る歌。その一方の説はこうです。片田舎に生まれた少女が貧しさから口減らしのため悪所に売られ,夜をひさぐ身となって何年か、いつか●●を移され肺病にもかかってもう直る見込みはなく、近い死のときを待つばかりの不幸な女。その女が2階の手すりにぐんにゃり自暴自棄によりかかりながら、下の通りでキャッキャと遊ぶこどもらのすがたをぼんやりと見ている。自分の幼かったころを懐かしむ思いとともに、いまは嬉々として遊んでいるこの子たちも、やがて自分と同じような修羅の道へ歩む宿業を負っているであろうことを思い、それをあわれんでうたった唄。
どうでしょうか。どうもあとの説のほうが現実味があるようで、わたしは好きなんですが。
まあ、解釈はどちらでもいいんじゃないでしょうか。
後白河院をタヌキじじいと言ってしまいましたが、なかなか一筋縄ではくくれない人物。スケールは違いますが、ちょっとこの人物に似たいまの政治家がいますよね。あっちの勢力とこっちの勢力をぶつけ合わせ、ひとつが勝てばまた別の勢力とぶつけて拮抗させる、台風の目のような権謀術策に長けた人物。結局のところ、後白河院は、清盛にも勝ち、義仲や義経にも勝ち、鎌倉幕府を開いた源頼朝にも譲ることなく、じょうずに、粘り強く、武家に屈することなく、院政の権威、皇室の権威を守りぬいて乱世を生きた「大天狗」ということになりますよね。
古代と中世の分かれ目を告げる民衆大衆の声を集めた「梁塵秘抄」。せっかくですから、あと二、三、よく知られる代表的な歌をご紹介しておきましょうか。
「舞へ舞へかたつぶり 舞はぬものならば
馬(むま)の子や牛の子に蹴(く)ゑさせてん
踏み破(わ)らせてん
まことに愛(うつく)しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん (408番)
仏は常に在(いま)せども 現(うつつ)ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ (26番)
恋しとよ 君恋しとよ ゆかしとよ
逢はばや見ばや 見ばや 見えばや (485番)
こころの澄むものは 霞 花園 夜半の月 秋の野辺
上下を分かたぬは恋の路 岩間を洩りくる滝の水(333番)
✻画像はアセビ

>いまのNHK大河ドラマ「平清盛」のタイトルバックに流れているうた「遊びをせんとや生まれけむ…」は後白河上皇がつくった「梁塵秘抄」から採ったものとか。〔P〕
----------------------------
もうちょっと正確には、
遊びをせんとや生まれけむ 戯(たはぶ)れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ
「梁塵秘抄」359番の歌ですね。
「梁塵秘抄」は大天狗といわれる後白河上皇が、「つくった」というよりは、周囲のものに命じて当時の俗謡(今様)をあつめさせ、つくらせたということでしょうね。平家か源氏か、朝廷はどうなる、という世がひっくりかえるようなときに、のんびりとこういう他愛もない(!)信仰と風俗と愛欲の歌謡をつくらせてうつつを抜かしていたタヌキじじいぶりがおもしろいですよね。
遊びをせんとや生まれけむ…
をめぐっては,以前から学説が真っ二つに分れているようです。ふつうには、親の目にうつる無邪気な子どものすがたであり、ほのぼのとしたやさしさが感じられるとするもの。これから背負わねばならない長く重い業苦とは別に、健やかな子どもの未来に光を見る歌。その一方の説はこうです。片田舎に生まれた少女が貧しさから口減らしのため悪所に売られ,夜をひさぐ身となって何年か、いつか●●を移され肺病にもかかってもう直る見込みはなく、近い死のときを待つばかりの不幸な女。その女が2階の手すりにぐんにゃり自暴自棄によりかかりながら、下の通りでキャッキャと遊ぶこどもらのすがたをぼんやりと見ている。自分の幼かったころを懐かしむ思いとともに、いまは嬉々として遊んでいるこの子たちも、やがて自分と同じような修羅の道へ歩む宿業を負っているであろうことを思い、それをあわれんでうたった唄。
どうでしょうか。どうもあとの説のほうが現実味があるようで、わたしは好きなんですが。
まあ、解釈はどちらでもいいんじゃないでしょうか。
後白河院をタヌキじじいと言ってしまいましたが、なかなか一筋縄ではくくれない人物。スケールは違いますが、ちょっとこの人物に似たいまの政治家がいますよね。あっちの勢力とこっちの勢力をぶつけ合わせ、ひとつが勝てばまた別の勢力とぶつけて拮抗させる、台風の目のような権謀術策に長けた人物。結局のところ、後白河院は、清盛にも勝ち、義仲や義経にも勝ち、鎌倉幕府を開いた源頼朝にも譲ることなく、じょうずに、粘り強く、武家に屈することなく、院政の権威、皇室の権威を守りぬいて乱世を生きた「大天狗」ということになりますよね。
古代と中世の分かれ目を告げる民衆大衆の声を集めた「梁塵秘抄」。せっかくですから、あと二、三、よく知られる代表的な歌をご紹介しておきましょうか。
「舞へ舞へかたつぶり 舞はぬものならば
馬(むま)の子や牛の子に蹴(く)ゑさせてん
踏み破(わ)らせてん
まことに愛(うつく)しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん (408番)
仏は常に在(いま)せども 現(うつつ)ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ (26番)
恋しとよ 君恋しとよ ゆかしとよ
逢はばや見ばや 見ばや 見えばや (485番)
こころの澄むものは 霞 花園 夜半の月 秋の野辺
上下を分かたぬは恋の路 岩間を洩りくる滝の水(333番)

Posted by 〔がの〕さん at 12:22│Comments(4)
│日本古典文学
この記事へのコメント
きれいです馬が酔う草とか?
綱島に居る幼馴染にイーラを
薦めましたが、なんでこれが生涯学習か?
ですって!!分かってほしいのに!!
綱島に居る幼馴染にイーラを
薦めましたが、なんでこれが生涯学習か?
ですって!!分かってほしいのに!!
Posted by Qちゃん at 2012年04月14日 16:17
こんにちは
今八王子に住む私の弟が書いた小説を読んでいます。
読み終わったら、是非がのさんに読んでいただきは評価
していただきたいのですが、送ってもよろしいでしょうか。
今八王子に住む私の弟が書いた小説を読んでいます。
読み終わったら、是非がのさんに読んでいただきは評価
していただきたいのですが、送ってもよろしいでしょうか。
Posted by 2人3脚
at 2012年05月02日 14:01

ありがとうございます。ぜひ読ませてください。……とは言ったものの、いまわたしは妻の介護に振り回されて余裕なく、なかなか読書が進みません。たくさんの同人誌が送られてきているのですが、読めずにいるまま。書いて送らねばならない童話も、手つかず。申し訳ありませんが、すぐには読めないと思いますので、その点、ご承知おきくださいませ。
Posted by がの at 2012年05月02日 23:08
有難うございます。
日々の介護の大変な様子が目に浮かびます。
私は毎日1時間くらいで3日位で読めました。短編小説です。お手数おかけします。返却しなくても良いです。
今から郵便局に行ってきますので宜しくお願いします。
日々の介護の大変な様子が目に浮かびます。
私は毎日1時間くらいで3日位で読めました。短編小説です。お手数おかけします。返却しなくても良いです。
今から郵便局に行ってきますので宜しくお願いします。
Posted by 2人3脚
at 2012年05月03日 10:26
