2012年11月27日

✦古事記-1 「わだつみのいろこのみや」

古事記-1 
「わだつみのいろこのみや」

〔STMさん〕
  「わだつみのいろこのみや」は、「古事記」の中では比較的地味なお話ですけれど、流れはとっても美しい海の中の物語。山幸彦が辿りついた海神のいろこのみやの庭で、のぼって隠れていた木が桂の木で、その下にあった泉に水を汲みにきた侍女の頭の上にひらひらとハート型の葉が落ちて、山幸彦に気づくことを知りました。本の中には、ハート型の葉とは書いてありませんが、恋の予感を暗示している葉だったのですね。ロマンチック~ゥ。
                ☆
  ――う~ん、物語の滋味をよく知るSTMさんならではの読み方。そのすばらしい感度にまいってしまいます。肝心なところにピタッと目がいくんですねぇ。感激です。
  海に四辺を囲まれているこの国ですから、神話に海のことが書かれるのはごく当たり前のことでしょうが、「古事記」のこのあたりは日本の神話のうちでも、どうでしょう、白眉中の白眉だと、わたしなどは思うのですよ。世界じゅうのほかの国の神話を探したって、これほど想像力ゆたかな、きれいな神話は、まずないのではないでしょうか。
  ご存知と思いますが、「いろこ」とは魚鱗のこと、あのキラキラ光る「うろこ」のことですよね。これを「色好み家」と読んでおもしろがっている人がいてちょっと困るのですが、たしかにこの「古事記」、セクシュアルなイメージに満ちていて、そういう読み方を愉しむひとも少なくないのですけれど、残念、ここはそうじゃないですよね。このあたりを原文でみると、青緑の光にみちた神秘の海の底に、魚鱗(うろこ)のように立ちならぶ宮殿がある。壮麗なその宮殿の前に門があり、その近くに清く涼しげな水の湧く泉がある。そのほとりに立っているのがカツラの木。そうです、かわいいハート型の葉をしげらせているカツラ(香木)です。「古事記」を書いたひとがそこまで意識したかどうかはわかりませんが、小さな緑のハートです。青々としげったその木の梢に、若い美しい男神が、もの思わしげに下を見ています。するとそこに、青く光る着物をまとった侍女が玉壷(玉器、たまもひ)を胸のところに抱いてやってきます。優雅な腰つきで泉のほとりに身をかがめ、壷で水を汲もうとする。すると、木のうえにいた美しい男神のすがたが水のおもてに映っていて、びっくりする。……ね、美しいイメージ、きれいな描写じゃないですか。

✦古事記-1 「わだつみのいろこのみや」
青木 繁「わだつみのいろこのみや」


  この美しさをぴたりととらえたのが明治の天才画家、青木繁ですね。この人の「いろこのみや」は代表作といえる名画だと思います。タテ長のあの絵、ご覧になったこと、あるでしょ? 切手にもなっていましたし(ただし、この絵のカツラの葉はハート型じゃないんですね、どうしてだか)。この画家は28歳で波乱に満ちた人生を終えた人ですが、「古事記」に材を求めてたくさんの絵を残していますね。「黄泉比良坂」(東京芸大蔵)、「大穴牟知命」もたいへんすぐれた絵ですし、ブリジストン美術館にある「海の幸」、この作品などはまさに青木繁の本領といいますか、…命の原郷としての海を絵画の源泉として情熱をこめて、祈りをこめて描いています。この人は生まれた自分の子どもを「海幸彦」にちなんで「幸彦」と名づけたほど、日本の神話を愛し、それを近代ロマンティシズムにつつんで表現したひと。若いSTMさんはご存知ないでしょうが、この幸彦さんがじつは尺八の名手の福田蘭童というひとで、テレビが登場する前にだれもが聞いていた人気のラジオドラマで、何度も耳にした名前です。おとうさん、おかあさんに聞いてごらんなさい。え~と、これ、あまり主題に関係なかったですね。

★〔STMさん〕
  わたしの見ている英訳のテキストでは、
   ”Beside the well grew a fine, big maple, thick with leaves.”
   そばに、りっぱなかえでが葉をしげらせています。
となっています。「かえで」となっていますが、「古事記」にあたってみると「かつら」の木です。この違いをどう理解したらよいのでしょうか。
                 ☆
  「わだつみのいろこのみや」の、ホオリがのぼって姿をかくしたのは「カツラ」か「カエデ」かという点ですが、原文はこうなっています。

…傍之井上。有湯津香木。故坐其木上者。海神之女。見相識者也。
訓香木云加津良。
故隨教少行。備如其言。即登其香木以坐。爾海神之女。豊玉毘賣之従婢。

  「古事記」については、ご存知のように、賀茂真淵、本居宣長、そのほかにも田中頼庸、上田萬年、橘守部など、多くの国文学者が研究し校訂本をつくっています。ほかのものをいろいろあたってみることはいまは資料不足でできませんが、わたしの手許にある上記の田中校訂本(次田潤著「古事記新講」)では、わざわざ「訓香木云加津良」(読み、コウボクはカツラという)と書いていますし、岩波文庫の倉野憲司校注の「古事記」では香木に「かつら」とルビがふられているくらいで、ここはカツラと考えてまず間違いないものと思います。STMさんのお持ちのテキストは、再話するにあたりどの校本をもとにしたかは、わたしにはわかりませんが、古語辞典を見ても「香木」は「香りのよい木」という程度しか説明はなく、どうしようもないですね。
  また、青木繁の名画「いろこのみや」に描かれた葉は、鮎の形というか、黒々とした長楕円形で、へりがチリチリにちぢれていて、カエデでもカツラでもなく、カシやカシワでもなく、どちらかというとコナラの葉に似ているように思います。
  これについても、いまは確かめようがないですね。やはり、もとにした校訂本による相違と推定されます。

  【付記】わかりましたよ、STMさん。青木繁の代表的な名画「わだつみのいろこのみや」に描かれている木、葉のかたちからしてカツラでもカエデでもなく、あれは月桂樹の葉ですね。暗緑色で、先端がとがり、ふちはちぢれてちょっとギザギザ。干して香料に使われるあの葉。名誉、栄光、勝利のしるしとして冠、「桂冠」にされているあの木の葉だろうと思われます。神話にふさわしい神聖なものでもありますね。念のために辞書を見てみたら、中国の古い伝説で、月の中に生えているカツラの木、それを「月桂樹」と呼んだとありました。青木繁の勝手な想像でもなければ、誤解、読み違いでもないことがわかりました。



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Posted by 〔がの〕さん at 17:06│Comments(0)日本古典文学
 
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