2015年06月12日
C/松谷みよ子〔5〕
松谷みよ子
モモちゃんとアカネちゃんシリーズ②
<小夜の“いっしょに、おはなし!”>
モモちゃんとアカネちゃんのパパを求めて

☆〔SCKさんへ〕…2冊目の「モモちゃんとアカネちゃん」を読み終えたばかりです。健康なあかるさ、いたいけな無邪気さ、愛らしさに導かれて読んできましたが、エーッ!? という展開に。アカネちゃんを生んだあと、ママさんの寝るおふとんの隅にはいつも死に神がいて、病気がちですし、どうやら、理由は語られていませんが、ママさんとパパさんは離婚したようですね。ママさん、モモちゃん、アカネちゃんが森の向こうの町へトラックで引越ししていきます。トラックが去って見えなくなったあと、パパさんは出てきて、モモちゃんが忘れていった花がらの鞠をしばらくぼんやり見ていましたね。モモちゃんのまわりにもきびしい現実がせまってきているようです。続編でどう展開していくのか…。
*
☆〔SCKさんへ〕…「モモちゃんとプー」そして4冊目の「ちいさいアカネちゃん」の半分を読んだところです。父GANOさんは、ほんとうは女の子を育てた経験はありませんけれど、かわいいですねェ、やることなすことが。それに、女の子はやさしい。いまにして、女の子が欲しかったなあ…、と。ないものねだりです。男の子は父親に反抗ばかりして、やさしさというものを知らない。それにしても、モモちゃんのパパさんのことが気にかかるのですが、なんだか、シリーズ6冊目の案内を見ると、亡くなるらしいじゃないですか。楽しみにしてつづいて読んでみます。

☆〔PWMさんへ〕…それにしても、このところすっかり松谷ワールドに入り浸りになりましたね、PWMせんせいも小夜も。小夜は、モモちゃん、アカネちゃんのおとうさんのことがどうしても気になるものですから、次々にシリーズの続編を読むことになり、きょうまでに6巻のうちの5巻目「アカネちゃんとお客さんのパパ」まで読み、最後の6巻目「アカネちゃんのなみだの海」を読みはじめたところです。こころもからだもどんどん成長していくモモちゃんとアカネちゃん。ほんとうにかわいいです。小夜のようにへんにおとなびていないで、天真爛漫な自然さがありますね。アカネちゃんなんか、おねえちゃまぶって、「ミーソコナッチャイケナイヨ、ドンドン」とすぐ口ぐせにして意気がるんですからね。でも、なんだかおとうさんとの距離がかなしいですね。どうやら、おとうさんはさいごに亡くなるらしいですが。ちょっとこのあとがドキドキです。
*
☆〔SCKさんへ〕…小夜は、モモちゃん、アカネちゃんのおとうさんのことがますます気にかかるものですから、シリーズの4巻目「ちいさいアカネちゃん」から5巻目の「アカネちゃんとお客さんのパパ」を読みました。ここでパパのことがはっきり出てくるのかな、と。そしていまは最後の6巻目「アカネちゃんのなみだの海」を読みはじめたところ。ひとつ注目したいのは、4巻目までのさし絵は菊池貞雄さんが描いていましたが、5、6巻目は伊勢英子さんが描いていること。菊池さんが途中でお亡くなりになったことによる交代のようですが、どちらも子どもの描写、すばらしいですね。しぐさの可愛らしさはバツグンですね。
さて、お別れしたパパのことですが…。アカネちゃんの3歳のお誕生日にあたる日でした。忘れんぼママが忘れたお買い物を買いにもう一度出かけていきます。アカネちゃんはひとりでおるす番です。そこにやってきたのはパパおおかみでした。アカネちゃんは少しも恐れる気配はありません。のどがかわいたというパパおおかみにアカネちゃんはビールをついでやったりします。そしてビールで、お誕生日おめでとうのカンパイをしてくれるパパおおかみ。つづいてパパおおかみは赤、水色、ピンクのふうせんをつくってくれます。黄色く円いお月さまもつくってくれます。そして、
ののさま どちら/いばらのかげで
ねんねをだいて/花つんでござれ/花つんでござれ
とパパおおかみは歌います、アカネちゃんをひざにだっこして。この歌はじつはママがいつもうたってくれていた歌。どうしたってこれは、ほんもののパパですよね。これより先、森のおまつりにアカネちゃんはパパおおかみに手をつないでもらって夜の森を行くシーンもありました。
パパの存在、それは、モモちゃんのなかでは比較的うすいようですが、アカネちゃんのなかにははっきりとパパがいるらしい。「さよならしてもパパはパパ」ということばも随所にちりばめられています。いつもママがいないときにかぎってあらわれるパパおおかみ。作者は父親をどうしておおかみにして表現したのでしょうか。そのままのパパではどうしていけなかったのでしょうか。
これから読む6巻目で、パパは亡くなるらしいですが、なんだか小夜はドキドキです、こわいようです。

☆〔HRMさんへ〕…さいしょはそんなつもりはなかったのですが、とうとうモモちゃんシリーズの6冊をぜんぶ、がのおとうさんに読んでいただきました。母性のことを追究するはずが、GANOおとうさん、いつの間にか父性のありかに興味を移してしまったようで、矢継ぎばやに読むことになりました。
パパのこと、アカネちゃんはバリバリと思いのまま口にしていきますが、モモちゃんはちょっとおねえちゃまですから、ぐっと胸に抑えていたのですね。ママさんの立場がよくわかっていたのかも知れません。ですから、パパが亡くなり、お骨を土にうずめると、クジラがやってくるほどいっぺんに涙をながしたのはモモちゃんのほうでしたが、アカネちゃんはどうしてなのか、もう泣きませんでしたね。赤い小さな手シャベルで土をかけるだけ。でも、やっぱり、パパさんのこと、寂しく、小夜も胸が痛いです。作家としてママさんとは別の道を歩いておられたのですね。しんみり、です。
モモちゃんとアカネちゃんシリーズ②
<小夜の“いっしょに、おはなし!”>
モモちゃんとアカネちゃんのパパを求めて

☆〔SCKさんへ〕…2冊目の「モモちゃんとアカネちゃん」を読み終えたばかりです。健康なあかるさ、いたいけな無邪気さ、愛らしさに導かれて読んできましたが、エーッ!? という展開に。アカネちゃんを生んだあと、ママさんの寝るおふとんの隅にはいつも死に神がいて、病気がちですし、どうやら、理由は語られていませんが、ママさんとパパさんは離婚したようですね。ママさん、モモちゃん、アカネちゃんが森の向こうの町へトラックで引越ししていきます。トラックが去って見えなくなったあと、パパさんは出てきて、モモちゃんが忘れていった花がらの鞠をしばらくぼんやり見ていましたね。モモちゃんのまわりにもきびしい現実がせまってきているようです。続編でどう展開していくのか…。
*
☆〔SCKさんへ〕…「モモちゃんとプー」そして4冊目の「ちいさいアカネちゃん」の半分を読んだところです。父GANOさんは、ほんとうは女の子を育てた経験はありませんけれど、かわいいですねェ、やることなすことが。それに、女の子はやさしい。いまにして、女の子が欲しかったなあ…、と。ないものねだりです。男の子は父親に反抗ばかりして、やさしさというものを知らない。それにしても、モモちゃんのパパさんのことが気にかかるのですが、なんだか、シリーズ6冊目の案内を見ると、亡くなるらしいじゃないですか。楽しみにしてつづいて読んでみます。

☆〔PWMさんへ〕…それにしても、このところすっかり松谷ワールドに入り浸りになりましたね、PWMせんせいも小夜も。小夜は、モモちゃん、アカネちゃんのおとうさんのことがどうしても気になるものですから、次々にシリーズの続編を読むことになり、きょうまでに6巻のうちの5巻目「アカネちゃんとお客さんのパパ」まで読み、最後の6巻目「アカネちゃんのなみだの海」を読みはじめたところです。こころもからだもどんどん成長していくモモちゃんとアカネちゃん。ほんとうにかわいいです。小夜のようにへんにおとなびていないで、天真爛漫な自然さがありますね。アカネちゃんなんか、おねえちゃまぶって、「ミーソコナッチャイケナイヨ、ドンドン」とすぐ口ぐせにして意気がるんですからね。でも、なんだかおとうさんとの距離がかなしいですね。どうやら、おとうさんはさいごに亡くなるらしいですが。ちょっとこのあとがドキドキです。
*
☆〔SCKさんへ〕…小夜は、モモちゃん、アカネちゃんのおとうさんのことがますます気にかかるものですから、シリーズの4巻目「ちいさいアカネちゃん」から5巻目の「アカネちゃんとお客さんのパパ」を読みました。ここでパパのことがはっきり出てくるのかな、と。そしていまは最後の6巻目「アカネちゃんのなみだの海」を読みはじめたところ。ひとつ注目したいのは、4巻目までのさし絵は菊池貞雄さんが描いていましたが、5、6巻目は伊勢英子さんが描いていること。菊池さんが途中でお亡くなりになったことによる交代のようですが、どちらも子どもの描写、すばらしいですね。しぐさの可愛らしさはバツグンですね。
さて、お別れしたパパのことですが…。アカネちゃんの3歳のお誕生日にあたる日でした。忘れんぼママが忘れたお買い物を買いにもう一度出かけていきます。アカネちゃんはひとりでおるす番です。そこにやってきたのはパパおおかみでした。アカネちゃんは少しも恐れる気配はありません。のどがかわいたというパパおおかみにアカネちゃんはビールをついでやったりします。そしてビールで、お誕生日おめでとうのカンパイをしてくれるパパおおかみ。つづいてパパおおかみは赤、水色、ピンクのふうせんをつくってくれます。黄色く円いお月さまもつくってくれます。そして、
ののさま どちら/いばらのかげで
ねんねをだいて/花つんでござれ/花つんでござれ
とパパおおかみは歌います、アカネちゃんをひざにだっこして。この歌はじつはママがいつもうたってくれていた歌。どうしたってこれは、ほんもののパパですよね。これより先、森のおまつりにアカネちゃんはパパおおかみに手をつないでもらって夜の森を行くシーンもありました。
パパの存在、それは、モモちゃんのなかでは比較的うすいようですが、アカネちゃんのなかにははっきりとパパがいるらしい。「さよならしてもパパはパパ」ということばも随所にちりばめられています。いつもママがいないときにかぎってあらわれるパパおおかみ。作者は父親をどうしておおかみにして表現したのでしょうか。そのままのパパではどうしていけなかったのでしょうか。
これから読む6巻目で、パパは亡くなるらしいですが、なんだか小夜はドキドキです、こわいようです。

☆〔HRMさんへ〕…さいしょはそんなつもりはなかったのですが、とうとうモモちゃんシリーズの6冊をぜんぶ、がのおとうさんに読んでいただきました。母性のことを追究するはずが、GANOおとうさん、いつの間にか父性のありかに興味を移してしまったようで、矢継ぎばやに読むことになりました。
パパのこと、アカネちゃんはバリバリと思いのまま口にしていきますが、モモちゃんはちょっとおねえちゃまですから、ぐっと胸に抑えていたのですね。ママさんの立場がよくわかっていたのかも知れません。ですから、パパが亡くなり、お骨を土にうずめると、クジラがやってくるほどいっぺんに涙をながしたのはモモちゃんのほうでしたが、アカネちゃんはどうしてなのか、もう泣きませんでしたね。赤い小さな手シャベルで土をかけるだけ。でも、やっぱり、パパさんのこと、寂しく、小夜も胸が痛いです。作家としてママさんとは別の道を歩いておられたのですね。しんみり、です。
Posted by 〔がの〕さん at 15:18│Comments(0)
│児童文学