2011年07月21日

F/ギリシア神話は女性をどう描いたか=2

水に流すこと、
   そしてまた、心の昇華と新しい蘇生と

   〔ギリシア神話/トロイア戦争のなかの女〕

 過去を水に流す。このことにおいて、日本人はとてもあっさりしているのでしょうか。制度がかわったら(トップの首がすげかわったら)、それまでのことは全部なしにしてしまう国民性なのでしょうか。それは、トップが間違いを犯さないときにはとても安心で簡単なことでしょうが、間違いを犯さないように監視する、ということがなく暴走したのが先の大戦だったのではないか、とも思えてくるのです。〔Dさん〕

 忘れる…、これは人間に天賦されたありがたい能力だとされています。ひとが心配ごとなく安寧に、自由に磊落に世を生きていこうとするときの、なかなか便利な武器かもしれませんね。
 しかし、歴史には、忘れていいことと、決して忘れてはならない歴史とがあると思います。都合の悪いことはケロリと忘れる。ところが、ひとたび屈辱を浴びせられたほうは、あっさり水に流してくれるなんてことはありません。ひとが受けた苦痛や辱めは、20年経っても30年経っても忘れられるものではありません。学校で問題の「いじめ」や、日本軍が満州につくった七三一部隊、そこでおこなわれた正視に余る生体実験の数々を挙げるまでもなく、わたしにもいくつかその覚えがあります。執念深い、いやらしいよ、といわれようと、おそらく死ぬときまでその口惜しさを忘れることはないでしょうね。加齢のなかで呆けて記憶を喪うようなことがあっても、それだけは忘れずに残っているだろう口惜しさ。

F/ギリシア神話は女性をどう描いたか=2


少し遠まわしにして、ギリシア神話のほうから、そのことを語っていいでしょうか。
 トロイア王国の王子ヘクトールに嫁したアンドロマケという女性。古代トロイア戦争の神話に登場する女性で、まず、父親と七人の兄弟をギリシア軍に殺され、母親もアルテミス女神の矢に射抜かれて死にます。さらに夫のヘクトールは宿敵のアキレウスとの一騎打ちで槍で仆されます。そのあとが眼も当てられぬ酷さ! 自分の死骸は父王プリアモスの手に渡し火葬させてほしい、と武士の情けでアキレウスに求めるが、復讐の鬼と化した敵はそれを一笑に伏し、その遺骸を軍馬にくくりつけて狂ったように疾走、土ぼこりのなか戦場をひきまわします。神をも恐れぬアキレウスの所業はのちに神罰を受けることになりますが。スカイア門の上からその惨劇を目撃していたアンドロマケは色を失い号涙し卒倒する。眼前にした夫の最悪の死に方。トロイアの命運は、オデュッセウスの奸計による「木馬」を待つまでもなく、事実上このときに尽きたといえるかもしれません。この戦争のなかで根絶やしにされて天涯孤独になった美しい王妃。望んだ自らの死は許されず、不幸はまだまだつづきます。王妃の座から女奴隷へと転落する運命へ。勝者のギリシアの戦利品として異国へ、東洋から西洋へ連れていかれ、苛酷な労役と、戦勝国の男たちに自由にもてあそばれ、宿敵の子を次つぎに産むハメに。屈辱と忍従の日々を「耐える女」に徹して蘇生の時期を待つ。迫害と辱めを受け、極限の生に耐えつつ、身を滅して屈し、従うことによってのちに生命の蘇りを果たすわけですが、これこそが「東洋の女の忍従」、西欧世界で生まれ育った人間にはない生き方と言えないでしょうか。

戦争に勝ったギリシア軍はトロイアにある限りの財宝と女たちを奪って分け合い、帰国します。王妃アンドロマケが分配されたのは、なんとまあ、ネオプトレモス。父と七人の兄弟、そして夫を殺した宿敵アキレウスの、その息子である男。この男がまたどうしようもなく惨いヤツ。トロイア落城のとき、ゼウスの祭壇に逃れた父王プリアモスを引きづり出し、情け容赦なく首を刎ねる。ギリシアに連れ帰ることになったアンドロマケ王妃につかつかと近づくと、王妃が胸に抱いていたヘクトールとのあいだの一粒だねのアステュアナクス、恐ろしさに震えるその幼子を母親の腕からもぎ取り、王城の矢狭間から投げ落とす。その可哀そうな死骸に衣をかけてやるいともも与えず、アンドロマケを船に追いたてギリシアへ連れ帰る。さらにネオプトレモスは、アンドロマケの義妹ポリュクセネー、美貌で清純なその乙女を、先に死んだ父アキレウスの鎮魂のための人身御供として、衣をはぎとり、ブスリッと刃の下で喉首を斬る。世に並びない可憐さをもつ乙女は血しぶきに濡れて死ぬ。戦争とはもともとそうした非情なものなのでしょうか、…この古代トロイア戦争の残虐ぶりも日本軍七三一部隊の非人道的な人体実験の数々も。

 暗転しつづける彼女の生。明日の希望のすべてを踏みにじられたあと、なお苦界に生きるために、この誇り高い貞淑な王妃はどうしたか。奴隷にされ、妾にされ、屈辱の極みを味わされるが、逃れようもない生と知って、憎むべき男ネオプトレモスの子を三人も産む。男を憎むがゆえにその子を生む。なかなかわたしなどには理解できない心情だが。また、のち、ネオプトレモスがデルフィで客死したあとには、王国を継いだヘレノスの妾とされ、その男とのあいだにも一子をもうける。三人の異なる男とのあいだに五人の男子を産み、そしてついには王座を取り返す強靭な生命力を見せます。
 つまり、この子どもたちによって新王国建設という運命の逆転を果たすんですね、アンドロマケは。ネオプトレモスとのあいだの長子モロッソスがエペイロス王国を、その末子のペルガモスは「東洋」の地、トロイアにほど近いところにペルガモンという新王国を。ペルガモンは標高300メートルの景勝の地にある美しい町です。アンドロマケは最晩年の身をここで落ち着け、一日として忘れたことのない「東洋の地」で心の昇華と新しい人間として蘇生します。

運命に逆らわないこの生き方は母性の原型といえないでしょうか。ある意味で、恐いですね。男はすぐに武器をもって相手に復讐しようとカッカといきり立つ。それにひきかえ、見せ掛けとは異なる女の内奥にひそむ深き思い。絶望することなく、ひたすら忍従することによって主権を奪い返したこの東洋の女がつくりだすドラマは、こぜわしく自己主張する女のそれよりも、はるかに濃密なものがあるように思えて、わたしは感動を覚えるのですが。

 ものごとには、水に流せることと流せないことがある。きのう観た映画「午後の遺言状」(新藤兼人監督)でときどき登場する丸い石…音羽信子の演じる別荘管理人であり老農婦が最後にポーンと川に投げすてていくダチョウの卵ほどの石の意味と関連して書きたいこともありますが、長くなりましたので、きょうはこのへんにて。




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Posted by 〔がの〕さん at 10:42│Comments(0)名作鑑賞〔海外〕
 
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