2018年10月08日
F/ディオニソスと海賊たち
<ギリシアの神話と英雄物語>
ディオニソスと海賊たち
ペネロープ・ブロッドウ=文
バーバラ・クーニー=絵
菅野 耿=訳
うるわしのセレメ、その息子のディオニソスについておはなししよう。
不毛な塩の海に面した崖のうえ、彼がどんなすがたでそこにあらわれたか。
そう、血気盛んな、りんとした男ざかりの若ものだ。
黒髪はつややかに輝き、たくましい肩のうえまで流れていた。
紫色の外套をかけた肩は、りゅうりゅうとしてたくましい。
さて、ティルセンの海賊たち、すべるような櫂をもつ舟の男たちが、
ぶどう酒色の海にすう~っと近づいてきた。(おそろしいさだめの時が近づいたのだ)
若もののすがたを見つけると、彼らはたがいにうなづきあって、われ先に浜へ飛び出していった。
男たちはたちまち若ものを捕らえ、わいわい騒ぎながら、舟に引きつれていった。

男たちは、若ものをゼウスが愛してやまぬ王の息子とは考えず、
つなぎ綱できりきりとしばりつけようとした。
だが、いくらしばりつけようとしても、綱は若ものの手や足からぽろりと落ちて、
どうしてもしばりつけておくことができなかった。
一方、ディオニソスは、黒い瞳を輝かせながら、ゆうゆうとすわっていた。
それを見て、かじ取りがあわてて叫んだ。
「おまえたち、正気か! おまえたちがひっ捕らえ、しばりつけようとしたのがどんな神か、わかっているのか! わしらの舟がどんなにがんじょうに造られていようとも、
その方を捕囚するなんぞ、とんでもないことだ」
「たしかにこの方は、ゼウスだ、白銀(しろがね)の矢射(い)るアポロンだ、いや、さもなくばポセイドン。どうじゃな、限られたいのちを生きるわしたち人間と同じには見えんじゃろう。
オリュンポスにすまいする神でなくて何だというのだ。
さあ、この方を解放して、たそがれせまる海辺に降ろしてさしあげるのじゃ。すぐにだ!
この方に指一本たりともふれてはならぬ。その怒りにふれたら、
わしらは、身を切るほどの風と大波にたたきつけられることになろうぞ」
かじ取りはそう叫んだ。
だが、舟長(ふなおさ)は、それをせせら笑い、叱りつけるように言い放った。
「おまえこそどうかしている。見るがいい、この心地よい風はどうだ。さあ、綱を引け。舟の帆をあげろ! この若ぞうはわれわれのさずかりものだ、おまえごときの指図は受けぬわ」
「賭けてもいい、こいつはエジブト、キプロス、ハイバーボーリアン、いや、もっともっと遠くの地まで流れて行くことになるだろうさ」
「だがな、結局のところこいつは口をわって、われわれ仲間たち、その巨万の富、兄弟たちの名までもらして告げるに違いない。そうはさせられぬ。こいつの運命はわれわれのもとに投げ出されたのだ」
あざけりながら、彼は舟のマストに高だかと帆をあげさせた。
すると、帆のまん中に風がふぅ~と息を吹きつけた。舟のりたちは右に左にロープをゆわえつけた。
とつぜん、舟のりたちのまわりに不思議があらわれた。まず第一に、速足(はやあし)の黒い舟のどこもかしこも、甘い香り、芳(かんば)しいブドウ酒であふれた。
神々の酒アンブロシアの芳香があたりいっぱいにたちこめた。
驚きのあまり、舟のりたちは口をあんぐり。
そしてたちどころに、ぶどうの木は、蔓(つる)をあっちにもこっちにも、帆のまわりにも伸びひろがり、重そうなブドウの房(ふさ)がいっぱい垂れさがった。

黒々とした蔦(つた)は、はちきれんほどの花をつけて、マストにぐるぐると巻きついた。
そしてそこに、ゆたかな実がおいしそうに熟した。
舟長はこれを見てついに、かじ取りにむかって「舟を陸につけるんだ」と叫んだ。
だが、舟の湾曲部におかれていた若ものは、威厳に満ちた獅子にすがたを変え、
ガオ~ッ! と声高に吼えた。
舟のまん中で、若ものは別のしるしをあらわし、威力を示した。
一ぴきの毛むくじゃらの首をした熊を生みだしたのだ。
熊は、腹をすかして、うしろ足でガッと立ち上がった。
一方、もう一段高い甲板には、いぜんとして獅子がいて、
手もつけられないほどのどう猛さでにらみつけていた。
舟のりたちは船尾に逃がれた。
彼らはちぢみあがって、分別のきく利口もののかじ取りのまわりに群らがった。
獅子は、目にとまらぬ早さで彼らめがけて突進し、まず、舟長に飛びかかった。
これを目(ま)のあたりにした舟のりたちは、おそろしい運命からのがれようと、
競うようにして波だつ海に飛びこんだ。
そして彼らはみな、イルカになった。
だが、ディオニソスは、かじ取りをあわれんで、その背中に手をあて、こんなふうに彼を励(はげ)ました。
「喜ぶがよい、そなたはわたしのこころにかなった。わたしは陽気なディオニソス、カドモスのむすめなる母セメレは、ゼウスと結ばれてわたしを生んだ」
ばんざい、ディオニソス、うるわしのセメレの息子。
あなたをわすれたものに、
けっしていい歌はつくれないだろうよ。
ディオニソスと海賊たち
ペネロープ・ブロッドウ=文
バーバラ・クーニー=絵
菅野 耿=訳
不毛な塩の海に面した崖のうえ、彼がどんなすがたでそこにあらわれたか。
そう、血気盛んな、りんとした男ざかりの若ものだ。
黒髪はつややかに輝き、たくましい肩のうえまで流れていた。
紫色の外套をかけた肩は、りゅうりゅうとしてたくましい。
さて、ティルセンの海賊たち、すべるような櫂をもつ舟の男たちが、
ぶどう酒色の海にすう~っと近づいてきた。(おそろしいさだめの時が近づいたのだ)
若もののすがたを見つけると、彼らはたがいにうなづきあって、われ先に浜へ飛び出していった。
男たちはたちまち若ものを捕らえ、わいわい騒ぎながら、舟に引きつれていった。

男たちは、若ものをゼウスが愛してやまぬ王の息子とは考えず、
つなぎ綱できりきりとしばりつけようとした。
だが、いくらしばりつけようとしても、綱は若ものの手や足からぽろりと落ちて、
どうしてもしばりつけておくことができなかった。
一方、ディオニソスは、黒い瞳を輝かせながら、ゆうゆうとすわっていた。
それを見て、かじ取りがあわてて叫んだ。
「おまえたち、正気か! おまえたちがひっ捕らえ、しばりつけようとしたのがどんな神か、わかっているのか! わしらの舟がどんなにがんじょうに造られていようとも、
その方を捕囚するなんぞ、とんでもないことだ」
「たしかにこの方は、ゼウスだ、白銀(しろがね)の矢射(い)るアポロンだ、いや、さもなくばポセイドン。どうじゃな、限られたいのちを生きるわしたち人間と同じには見えんじゃろう。
オリュンポスにすまいする神でなくて何だというのだ。
さあ、この方を解放して、たそがれせまる海辺に降ろしてさしあげるのじゃ。すぐにだ!
この方に指一本たりともふれてはならぬ。その怒りにふれたら、
わしらは、身を切るほどの風と大波にたたきつけられることになろうぞ」
かじ取りはそう叫んだ。
だが、舟長(ふなおさ)は、それをせせら笑い、叱りつけるように言い放った。
「おまえこそどうかしている。見るがいい、この心地よい風はどうだ。さあ、綱を引け。舟の帆をあげろ! この若ぞうはわれわれのさずかりものだ、おまえごときの指図は受けぬわ」
「賭けてもいい、こいつはエジブト、キプロス、ハイバーボーリアン、いや、もっともっと遠くの地まで流れて行くことになるだろうさ」
「だがな、結局のところこいつは口をわって、われわれ仲間たち、その巨万の富、兄弟たちの名までもらして告げるに違いない。そうはさせられぬ。こいつの運命はわれわれのもとに投げ出されたのだ」
あざけりながら、彼は舟のマストに高だかと帆をあげさせた。
すると、帆のまん中に風がふぅ~と息を吹きつけた。舟のりたちは右に左にロープをゆわえつけた。
とつぜん、舟のりたちのまわりに不思議があらわれた。まず第一に、速足(はやあし)の黒い舟のどこもかしこも、甘い香り、芳(かんば)しいブドウ酒であふれた。
神々の酒アンブロシアの芳香があたりいっぱいにたちこめた。
驚きのあまり、舟のりたちは口をあんぐり。
そしてたちどころに、ぶどうの木は、蔓(つる)をあっちにもこっちにも、帆のまわりにも伸びひろがり、重そうなブドウの房(ふさ)がいっぱい垂れさがった。

黒々とした蔦(つた)は、はちきれんほどの花をつけて、マストにぐるぐると巻きついた。
そしてそこに、ゆたかな実がおいしそうに熟した。
舟長はこれを見てついに、かじ取りにむかって「舟を陸につけるんだ」と叫んだ。
だが、舟の湾曲部におかれていた若ものは、威厳に満ちた獅子にすがたを変え、
ガオ~ッ! と声高に吼えた。
舟のまん中で、若ものは別のしるしをあらわし、威力を示した。
一ぴきの毛むくじゃらの首をした熊を生みだしたのだ。
熊は、腹をすかして、うしろ足でガッと立ち上がった。
一方、もう一段高い甲板には、いぜんとして獅子がいて、
手もつけられないほどのどう猛さでにらみつけていた。
舟のりたちは船尾に逃がれた。
彼らはちぢみあがって、分別のきく利口もののかじ取りのまわりに群らがった。
獅子は、目にとまらぬ早さで彼らめがけて突進し、まず、舟長に飛びかかった。
これを目(ま)のあたりにした舟のりたちは、おそろしい運命からのがれようと、
競うようにして波だつ海に飛びこんだ。
そして彼らはみな、イルカになった。
だが、ディオニソスは、かじ取りをあわれんで、その背中に手をあて、こんなふうに彼を励(はげ)ました。
「喜ぶがよい、そなたはわたしのこころにかなった。わたしは陽気なディオニソス、カドモスのむすめなる母セメレは、ゼウスと結ばれてわたしを生んだ」
ばんざい、ディオニソス、うるわしのセメレの息子。
あなたをわすれたものに、
けっしていい歌はつくれないだろうよ。
Posted by 〔がの〕さん at 13:39│Comments(0)
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