JC/遠藤周作「深い河」
深い河 遠藤周作
◆転生した妻を求めて
ひとは死んで再び何かに生まれ変わるという宗教感覚。遥か遠い時代、エジプトやメソポタミヤの文明とともにあったそういう考え方は、人間の切実な願望、死への怖れ、死者を悼むこころ、喪失感からの解放などから生まれた、ごく自然な観念だったのだろうか。
が、それは意外にすばらしい癒しの思想でもある。夫婦が死のまぎわに、気やすめに「生まれかわったらまたいっしょになろう」と言い合う俗っぽさ、また心中物語などの常套句で、「この世では添えなかったが、あの世では(生まれ変わったら)いっしょになろう」などといった種の安っぽい感傷も、もしかするとたいへん崇高な思想なのかも知れない。
キリスト教文学の金字塔とされる名作『沈黙』でよく知られる遠藤周作。絶妙なシャレや冗談が好きで、“狐狸庵”先生として広く親しまれた一面もある作家。この作家は1996年に亡くなっているが、その晩年、最後に書き残したのがこの『深い河』。死のまぎわに書き落したもので、作者のここに注ぐ思いには格別に深いものがある。
すでに企業戦士としての第一線を退き、年金生活をしている磯部。癌で妻を失う。とりたててすぐれたところがあるわけでもない、ごくふつうの、慎ましく謙虚にして堅実な女。美しいわけでもない、教養があるわけでもない、旧世代の典型的な、邪魔にならないよき女。その妻が死の床で「わたしが死んだら、必ずどこかで生まれ変わるから、ぜったいに探してね」ということばを残す。その場かぎりの甘えた戯れごと、世迷いごととしてその場では聞き流していたが、そのことばがのちのちまで磯部のこころの奥に滓(おり)のようにしてずう~っと残る。
転生したはずの妻を求めて、アメリカの大学に問い合わせ、世界の生まれ変わりの事例を照会してもらう。インドのヴァーラーナスィ(ベナレス)にそれらしい子どもがいるとの照会を得て、磯部はインドへのツアーに参加する。さまざまな事情、さまざまな人生を抱えた人たちとともに、ヒンドゥー教の世界、死霊の世界、死のためにそ
こに集まって来ている人びとの周辺を見て歩くことになる。ガンジス川とガート(川に降りるための石段)のまわりに広がる壮大な死の風景をまざまざと。生活のために交わってきた他人は無数にいるが、人生のなかで本当にふれあったのは、生涯に二人、母と妻しかいないことに思いいたる。亡き妻を求めてこうしてこのような地を放浪する磯部の旅は、あまりにも空しく悲しい。
◆インドの聖母との出会い
そこで目にしたのは、チャームンダーという女神像。うす暗く、むせ返るような熱さの充満した洞窟のなかで見た石の像。その乳房は老婆のもののように萎えて垂れ、いささかのふくらみすらもない。右足を見ると、ハンセン病(らい病)のため半分ほどえぐられ、爛れている。餓えのために肋骨が浮き出て、腹は背中にくっつくほどにへこんでいる。しかも、その腹のうえにはサソリが噛みついている。女神はそうした病苦、苦痛に耐えながら、乳は出るのか出ないのか、萎びきった乳房をたくさんの子どもたちの口に含ませている――かつてインドの人びとが背負っていた苦悶を一手に抱え込んでいる女神。それはキリスト教の聖母マリアの清らかさ、優雅さ、端麗さとは、比べるのも虚しいほど、あまりにも遠く離れたイメージだ。見ていると気分が悪くなるほど、醜く老い果て、苦しみ喘ぎ、それでもヤケをおこして自暴自棄になることもなく、周囲の目など気にするふうもない。ただ耐えている。これがインドの母、インドの聖母なのだと女神像は無言のうちに語っている。
遠藤周作が自身の生の最後のときにこのすさまじい女神に出会い、そのイメージをこころに抱いて73歳の生を閉じていったことが、はたして幸せだったか、救いになったかどうかは、わからない。死というものをいっそう暗い、救いのない苦しいものにしたか知れないし、あるいは彼のなかの無明の迷いを、この女神が掬いとってくれて、安心立命のうちに天国へ渡って行ったかも知れない。
◆インドの懐ろの深さ
磯部とともに、作中で鮮烈な印象をつくっているのは、大津という人物。ここに遠藤の思想のなかのイエス・キリスト像があり、遠藤自身を彷彿とさせものがある。「彼は醜く、威厳もない。みじめでみすぼらしい。人は彼を蔑み、見捨てた……人に侮られ…たが、彼は我われの病いを負い、我われの悲しみを担った」。日本社会で捨てられ、魂の闇にもがき苦しみ、神父にもなりきれず、各地を放浪。イスラエルのガリラヤ湖畔の修道院でも、フランスのリヨンの修道院でも、みんなに疎まれ、挙句にはヒンドゥー教徒たちの集う不潔なアシュラム(道場)で拾われる。そこで、行き倒れた死者たちを見つけては聖なる河・ガンジスに葬ることに生きる。そして日本から来た軽薄なお調子者のカメラマンをかばったことで、暴徒と化したシーク教徒に殴り殺される。「ぼくは、これでいいんだ、これで」ということばを残して。死体運びの卑しい男として、だれにも知られることなく死んでいく男。
さらに、インド哲学を修めながら、ろくな職業にも就けず、いまは観光客の添乗員をしながらインドのすがたを見つめつづけている江波という男にも、なんともいいがたい侘しさがある。いまは違うが、かつてのインドは、臭い、汚いなどといって馴染もうとせず、勝手なことを言っては困らせるこの飽食時代の、程度の低いツアー客を相手に、ときには腹を立てることもあるが、それでも自分を惹きつけてやまないインドの、深い懐ろのぬくみと、そこに生きる人びとのこころの世界を、一人でも多くの人に伝えようと身を粉にするその真率さ、そのすがすがしいすがたに、尽きぬ感動をおぼえる。
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