J/放浪記③林芙美子

〔がの〕さん

2021年01月04日 11:24

放浪記③林芙美子

■尾道の海への郷愁 


尾道駅前の商店街入口にある芙美子帰郷のブロンズ像
その台座には「海が見えた。海が見える。五年ぶりに見る尾道の海」と刻まれている


旅に出たい、故郷に帰ろう、海が見たい――。矢も楯もたまらず、私は2枚の着物を風呂敷につつむと飄然(ひょうぜん)と下宿を出、芝浦から大阪へ向かう酒荷船に便乗させてもらった。ああ、尾道の海、ひとりぼっちの私が恋のようにあこがれる町、やみがたい思い。
つぎに帰郷したのは、それから約1年後だった。少女のころに吸った空気、恋をした山の寺、泳いだ海……、すべてがなつかしく、私はうらぶれたからだをゆすってボトボト涙をこぼした。
東京にもどると、以前どおりの飢餓線上の生活に逆もどり。帯や本をわずかばかりのお金に替えては、やっと空腹をしのいでいた。そんな日がつづいた3月のある日、浅草へ出た帰り、薬屋でカルモチンを買った。自死…。
ずしんずしんと地の底にからだがゆすりさげられていくような感じだった。どれくらいの時間がたっていたのか、意識がもどると、私の裸の胸にカフェーの仲間たちがぬれた手ぬぐいを当てていた。階下のおばさんが粥を運んできてくれた。私の耳のなかに熱い涙がゴボゴボはいっていく。ありがとう…。私は、生きていたいと切実に願った。


芙美子がかつて暮らしていたタバコ店跡


昭和5年、改造社から出版された『放浪記』は林芙美子の名を世に一躍させた出世作であることはもちろん、『風琴と魚の町』『泣虫小僧』『晩菊』『浮雲』などとともに、文字どおりの代表作である。作品は、木賃宿を渡り歩く幼児期の回想から始まるが、主舞台になっているのは、失業者や浮浪者が陋巷(ろうこう)にあふれる昭和初期の東京で、作者18歳から25歳ごろまでの日々が赤裸々につづられた生活記録と言える。さまざまな職業を転々とする主人公には、いたるところ三えと屈辱と孤独がつきまとう。しかしそこには、退廃的な雰囲気や感傷的な厭世感はなく、むしろ若い行動力と向上への強い意志にあふれ、むいたばかりの果実にも似たさわやかさ、新鮮さ、こころのふるさとへのひたむきな郷愁がある。


 〔林芙美子〕 明治37(1904)年12月、山口県下関市に生まれる。本名はフミコ。一家は北九州の炭鉱地帯を行商して歩き、小学校は十数回も変わった。大正7年、15歳、尾道高女に入学、学費かせぎのため帆縫工場で夜勤などをした。同11年、尾道高女卒業と同時に愛人に連れられた上京、さまざまな職業を転々としながら同棲生活をしたが、翌年、男は郷里の因島に帰島、フミコの女学校時代の同級生と結婚してしまった。離婚後、日比谷、神楽坂、成子阪、道玄坂などに夜店を出し、自活の道を歩むことになった。
 東京での困窮生活のなかで、萩原恭次郎、辻潤、壷井繁治、友谷静菜らアナーキズム派の詩人たちとの知己を得、また宇野浩二、徳田秋声らの指導を得て童話や詩を書くようになった。初期の代表作に『放浪記』『風琴と魚の町』『清貧の書』『春浅譜』『泣虫小僧』、後期の代表作には『波濤』『晩菊』『浮雲』など。『晩菊』で日本女流文学者賞を受ける。『めし』『女家族』『漣波』の完成を待つことなく、昭和26(1951)年、48歳で波乱万丈の生涯を閉じた。

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