F/「カモメのジョナサン」R.バック
「カモメのジョナサン」 リチャード・バック
夢と幻想にあふれた現代の寓話
簡単なあらすじはこうだ。カモメのジョナサンは、若く好奇心旺盛、食べることよりも空を飛ぶことに生き甲斐を感じる。「自分らしく生きる」というテーマを求めて、群れの他のカモメたちが食べ物を漁っているときも、より速く飛ぶ方法を研究している。飛ぶとは自由になることであり、それこそが生きる真の意味だとジョナサンは考える。
そんなジョナサンは、やがて、規律を乱すとして群れから追放される。異端のカモメのジョナサンは光りかがやく空の果てまで飛んでゆき、ひとりになって飛行術の修行に明け暮れる。ある日、輝きを放つ二羽のカモメが現われ、ジョナサンを「もっと高いところ」(天国、真のふるさと)へ連れて行った。
その天国でジョナサンはそれまでとはまったく違う飛び方を学んだ。ついには瞬間移動もできるようになる。真実を見つけたとして、ジョナサンは地上にもどり、自分の獲得した真実を伝えねばならない、それこそが愛の証明だと考える。天国から帰ってきたジョナサンは、若いカモメ仲間たちに高度な飛行技術と飛ぶことの意味を教える。そして、教えうるかぎりのことを教えると、フレッチャーというカモメを後継者にして、自らはどこかだれも知らないところへ行ってしまった(死んだ)。
Richard Bach アメリカ・イリノイ州に生まれカリフォルニアで育った飛行家であり作家。ロングビーチ大学に入学したが、航空機の魅力にとらわれて退学、米空軍に入隊しパイロットの資格を取得、みずからも飛行機を購入して大空を飛んだ。いくつかの飛行機をめぐるルポタージュを書いていたが、「カモメのジョナサン」を1970年に発表、当時のヒッピー文化とあいまってヒットし、日本でも1974年に五木寛之の訳で出版され、反体制運動のひとつの理想として受け入れられ、大ヒットした。
1970年代のアメリカは、世界経済を独占するような経済大国になり、軍事、政治どの面からも他に比較できないほどの力をもつようになっていた。その権力と野望は人びとを圧迫し始め、ベトナム戦争をしかけて国を泥沼に引き込んだ。そんな時代を背景に生まれたのがヒッピー文化で、群れを否定し「自然に帰れ」と叫ぶ反社会的運動が行動原理として、ジョナサンの理想に当てはまったと考えられる。
≪作品鑑賞のポイント≫
①無限なる理想と完全なるものへの指向
一羽のカモメ、ジョナサン・リビングストンは、重要なのは食べることではなく、光に満ちた空の果てまで飛ぶこと、風になることだ、とする。急降下、宙返り、きりもみ、そして全速力の飛行。それは群れには受け入れられず、追放されて、孤独のうちに強い意志をもって、きのうもきょうもスピードの限界に挑戦する。飛ぶことの本当の意味、優しさの意味、愛の意味を探ろうとして苦闘する若い知性がここにはある。
②自由への指向と本当の自分の探求
飢えながら、ただ一羽、遠い沖合で飛行練習をする若いカモメの、ほかの仲間や親たちにも理解されない孤独。幸福な孤独だった。あるがままの自分に満足し、能力に限りある平凡なカモメとしては生きられない、という堅い信念。スピードこそ力、スピードと高度な飛行技術こそ、喜びであり純粋な美であるとし、カモメの一生があんなに短いのは、退屈と恐怖と怒りのせいだ、という意識に至る。
③その思想性、純粋な生き方とは…
ジョナサンには、食べることではなく、飛ぶことそれ自体が重要であり、それはまさにこの物語の象徴的な行為である。この寓話にこめられた究極の意味は、たとえ群れや仲間あるいと隣人がそれは無謀で危険な野心だといわれても、より高い生きる目的の探求のために、安易に妥協せず自分の信念を貫き、超越という究極の報酬を得た。そして最後に、その精神の高みで、愛と思いやりの真の意味を知った。すぐ目の前のことばかりに捉われた刹那的な生き方、他に依存して旧弊な流れのままに生きることへの批判であろうか。
独自の飛び方をきわめたジョナサンはふたたび元の群れに戻る。ジョナサンのデモンストレーション飛行を見たかつての仲間たちは、羨望のまなざしを向ける。かつて彼を異端者として追放した仲間たちも、その飛び方を見て感嘆する。しかしジョナサンは、そんなことは気に止めることなく、また自分の世界へ、虚空の世界へ飛んでいってしまう。そのピュアな姿が感動を呼ぶ。
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