F/「赤い小馬」スタインベック

〔がの〕さん

2023年06月05日 14:44

「赤い小馬」スタインベック


米1902~1968 1962年ノーベル文学賞


大自然や生きものたちとの交流のなかで
成長していく少年の姿


 主人公のジョディはようやく10歳になったばかりの少年。牧場の蓬(よもぎ)の匂い、むせかえるような若葉の香り、干し草にやどる野の香りと太陽のぬくもりに包まれて、すくすくと育っていく。活発でいたずら好き。厳格な父の不機嫌にぶつかってしかられるようなとき、いつも行って自分を慰めるのは、すすり泣いているような音をたてて流れ落ちる泉のほとり。
 その少年に、あるとき、赤い小馬(Pony)が与えられる。もう、夢中である、得意絶頂である。どんなにこの可愛い友だちを愛したことか! その背中に鞍を置いて野をいっしょに駆けまわる日を、どんなに楽しみにしていたことか!
 しかし、ふとした不注意からこの小馬ギャビランは呆気なく死んでしまう。(「贈り物」)
               ☆
 その悲しみがようやく癒えたころ、今度は牝馬ネリーが産む子馬を種つけ、出産のそのときからその子馬を育てる約束をする。出産までの11か月のなんと長いこと! やがて産まれてくる“黒い悪魔”との楽しい日々を待ちこがれ、少年はほとんど狂わんばかり。今度こそ自分の馬が持てる! 友だちみんなに自慢しなくちゃ! へっへ、みんな羨ましがるだろうなあ…。
 遅れに遅れてネリーに陣痛が起こる。しかし、どうもふつうじゃない。その全身に痙攣が走り、カンテラの明かりの下でひどく悶え苦しんでいる。外は凍てつく寒さと真っ暗な闇夜。夜明けまでにはまだ時間がある。使用人のビリー・バックが腕まで手をつっこむ。おかしい。これはまずい。……逆子(さかご)だった。
 子馬を取り出すには母馬の腹部をざっくりと切り裂かねばならない。馬蹄形のハンマーで母馬の頭の骨が打ち砕かれる音をジョディ少年は聞く。横にどんと倒れたネリー。ビリー・バックはナイフをぐいっと突き刺し、腹部を縦に切り裂く。ビリーの顔も腕も胸のあたりも血まみれ。そしてネリーの腹の奥から白い包みを引っぱりだした。

 人間の真実に迫る
 20世紀アメリカ文学の傑作のひとつ

 この作品は少年文学として世界で広く読まれている。しかし、ふつう、少年文学でこれほどなまなましく凄惨なシーンが書かれることはない。残酷なものは子どもの目から遠ざけるのがその世界の常識とされる。あまりにもリアルな馬の生と死。喜びと悲しみ。それに限らず、年老いて働けなくなったものに対する父親の冷淡さも、少年のまっすぐな、憧れに満ちた澄んだまなこが捉え、描いていく。(「大連峰」「開拓者」)
               ☆
 美しいもの、楽しいもの、醜いもの、不条理…、出会うものいっさいの現実を受け容れ、乗り越え、少年はこころに勁いものを積み上げていく。そこには甘やかな媚びはない。ごまかしやウソはない。名作は、呵責なくほんとうの人間の真実にせまる。ほんものの命、ほんものの愛情、ほんものの幸福を追求して止まない。よい文学とはいつもそういうものなのかもしれない。
 
 子どもの素朴さ、無邪気さ、偏見のなさ……から、矛盾をふくむ現実の経験への移行。いずれはだれもが経験しなければならない、大切なものを失うという経験、その死や喪失といった、悲惨で酷薄な面ももつ現実へのイニシエーション(通過儀礼)を描いたものとなっている。これがもう少し年齢が高じてくると、ジェームス・ディーン主演のあの映画「エデンの東」や「怒りの葡萄」(ともにスタインベック原作)で見たような、親や目上のものに対する拗ねや反抗心や不信となり、これも、人が成長していく過程で通らねばならないものでもあろうか。

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