C/ピノッキオが伝えようとする真実

〔がの〕さん

2012年09月11日 23:23

ピノッキオが伝えようとする真実
「コント・小夜とともに(42)」より

—— ピノッキオのおはなし、覚えていますね、イタリアのコッロディという人がつくったおはなし。
—— コロッと忘れて…なんぞいませんよ。木の人形なのに、ある瞬間から人間のこころを与えられ、人間と同じ動作ができるようになります。人形から人間へ変わるその瞬間に何がはたらいたのか、小夜はいつも不思議に思っています。
—— それは、このあいだおはなししたでしょう。小夜ちゃんがおかあさんのおなかのなかで、植物から動物に劇的に変身する瞬間と同じで、神さましか知らない領域です。



—— 話したり歩いたりする人形。イタズラをしたりウソをついたりするたびに鼻がピューンと伸びます。学校へ行くようになりますが、ズルをしてサーカスに行き、そこに入りびたったり…。とってもおもしろいおはなしだわ。
—— 木片から作った人形。ジェペットじいさんは自分で作ったこの人形のために、次から次へと、さまざまな気苦労をさせられました。
—— おばかさんなのよね、ピノッキオは。衝動的ですぐ誘惑に負けちゃうし。いいはなしだと思うとすぐ飛びついちゃう。デパートへ行ったときのおかあさんみたい。信じやすい、というよりは、しっかり自分で考えることをせず、楽しそうだから、と、もう自制がきかなくなっちゃうのね、ピノッキオは。
—— 欲望のおもむくまま、奔放で、好奇心旺盛で。でも、それが子ども本来のすがたなのではないでしょうか。自分の親兄弟がどれほど心配し困っているか、どれほど傷ついているか、なんて、ぜんぜん考えもしない。
—— 小夜はそんな子じゃないわよ。ピノッキオだって、最後にはいい子になってジェペットじいさんのところに帰るじゃないですか。
—— うん、おはなしではそういう展開になるけれど、おとうさんは、ここに、ちょっとやりきれないものを感じるのよね。
—— あら、どうしてですか。次から次にワクワクさせてくれる、すぐれたおはなしだと思いますけど。
—— この作者がどこまで意識して書いているかはわかりませんが、ここには、やりきれない悲劇、悲しい喜劇があります。
—— 「悲しい喜劇」といったら、言語矛盾じゃありませんか。
—— 現代人への重大な警告、と言い替えてもいい。
—— イエロー・カードですか。おとうさんの好きなラグビーでいうところの「シンビン」。
—— ほら、便利なパソコンや携帯電話。わたしたちがすぐ目の前にしているこうしたもの以外にも、さまざまな分野で科学技術の研究開発が進められています。その飛躍にはものすごいものがあります。医療技術、宇宙開発技術…。常人には想像のおよばないテンポで研究開発がおこなわれています。
—— そういうものでしたらまだしも、軍事技術がどこまで進んでいるのか、恐いものがあります。特に最近では、核開発の脅威をめぐって世界に大きな波が立っています。
—— それです、それです! ジェペットじいさんが自分でこしらえたものに翻弄され、泣かされますよね。プロメテウスがこの世に火をもたらして以来、人間はいつも、自分でつくりだしたもので自分を苦しめてきました。原発の事故がそうだったじゃないですか。小夜ちゃんの大好きなアンデルセンも書いていますよ、「人間というものは幸福をもとめながら、いつも幸福を捨てている動物だ」と。
—— 自分で吐いたツバを自分の顔に受けているという「喜劇」。そうですねぇ、地球の温暖化のため世界のさまざまなところでこれまでになかったような自然災害が起こっています。小夜がおばあちゃんになる21世紀の中ごろには、北極海の氷がすべて溶けてしまうだろうという研究と予測を聞いて、ほんと、恐くなりました。この異常気象の原因の一つが、車の排気ガスなどが出すCO2だそうですね。便利さの代償に人間がつくっているものが地球を、人の生活をジワジワ傷めつけている。
—— 自分が慈しみ深く生み育てたものが、ある日、大きな醜悪な怪獣に育って、破壊的な暴力をふるって脅かすなど、他に迷惑を及ぼし、もう、作った人の手には負えないものに膨張してしまう。
—— 公害のほとんどは、もともと、人間が便利さを求めてつくったものから生み出されたもの、たいへん厄介なものです。わたしたちは、ゴミを出さずに一日でも過ごすことはできないのが現実。たわむれに作られた木片のピノッキオが、いつの間にか、親から独立してひとり歩きをはじめ、脅かすまでには行かないまでも、ほかのものに悪いこころを起こさせたり、周囲を不快にさせ、ハラハラさせ、困らせます。
—— その厄介な怪獣の象徴が「核」でしょう。核を使って作られる核兵器は、人間を毀し、地球を毀すものです。その危険をみんな知っていながら、よほどおカネもうけになるのでしょう、その魅惑にとりつかれた人があとを絶ちません。世界が今もっている核兵器だけで地球の8個分を粉々に毀すことができるそうです。
—— 人類の消滅、いや、地球の消滅ですね。どうすればいいのでしょうか。
—— 困りましたね。古来から傲慢さを身につけ、自分の欲を主張することを知った人間には、どんな判断にもときには誤りの可能性がある、ということを認めるほどの度量と謙虚さがないからね。これが最大の「悲劇」です。石川啄木が「一握の砂」のなかでこんな歌を書いています。
  人といふ人のこころに一人づつ 囚人がゐてうめくかなしさ
また、モンテーニュというフランスの思想家は、「生命の不断の営みは、死の建設である」とか、「生の中にある限り、死の中にある」といっています。無力なおとうさんは、地球消滅の歩みの前にはまったく無力でお手挙げ、モンテーニュの気分です。

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>小夜ちゃんが大人になるころにはどんな地球になっているか心配です。そう言いながら叔母さんはごみをいっぱい出す日記を書いたところなんです。地球温暖化に叔母さんのごみが影響したらどうしよう、と心配になって来ました。小夜ちゃんの時代まで、いや永遠に、美しい地球であってほしいですね。〔PWMさん〕

⇒ わが地球よ、永遠なれ! ですね。地球の温暖化にともなう海面上昇でよく話題になるのが、ツヴァル諸島が水没の危機にある、モルディブが、フィージーが、バヌアツがたいへんなことになっている、といったニュースですね。でも、こうした南太平洋だけでなく、ヨーロッパ・アルプスの氷河がどんどん溶けているとか、先年南極から帰った毛利衛さんが報告していたように、南極の氷にもゆるみができ、大きな変化でおきているといった事実。日本だって例外ではありませんよね。あちこちの海岸で浸食が進んでいますし、砂浜がだんだんなくなってきている、とか。このまま海面上昇が加速的に進んで、仮に65センチ(今世紀末予測)上昇したら、82パーセントの砂浜は消滅するだろう、といわれています。すなわち、小夜の孫の代には、日本での海水浴はなくなるというわけ。こわい、こわい!
いくらわたしたちの小さな努力を重ねてもどうにもならない規模で地球は損なわれています。いったい、どうすればいいんでしょうね。この際、生意気なことを言わせてもらいます。国の進むべき方向を定め、国民の安全を守るべき政治は、ご覧のように党利党略に走るばかり、弱いものをいじめるばかりで、ちっともほんとうの国民のほうに顔を向けようとしません。経済はどうか、といえば、勝ち組・負け組の選別により格差が広がり、持てるものはいよいよ自分の利益をふやす、ラクをしてふやすことに奔走。モノを作っても、消費者のことなど二の次、三の次。おおげさに煽って薄っぺらな大衆のお財布を開かせさえすればいい。耐震偽装の問題、BSEの牛肉やペコちゃんのところの問題、ガス器具、航空機…。ひどいものですね。教育だってそうです。ここでもお札を数える趣味に凝る人が多く、正面から子どもに顔を向け、その成長にこころしている人が少なくなってきている様子。
つまり、「想像力の失われた時代」といえないでしょうか。きれいごとの、ロマンチックな「想像力」とは違う、ほんとうの想像力。自分のことでメいっぱい、今のこのときを楽しく生きるのに精いっぱい、目の前の安寧さえ得られればけっこう、という多くの人びとの生き方が常態となり、他を思いやる心、この同じ地球のうえで、同じ日本という国で、このあと生きていくであろう孫や曾孫、曾曾孫のこと、100年後の日本のこと、500年後の世界を想像する心。それが喪われている、ということではないでしょうか。 ゴミをどう処分するか。PWMせんせい、さあ、どうしましょう。ヘタな捨て方をすると後世の恥にならないとも限りませんね。1000年後のわたしたちの子孫がこの地球を発掘して遺物を調べようとしたとき、何が出てくるのでしょうか。貴重なものでしょうか、まったく無価値なものでしょうか。くっだらない! つまらない生き方をしていた人たちだ、と嘲われてしまうことはないでしょうか。
ピノッキオのおはなしがこんなところへ…。エラそうにして、ごめんなさい。 

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