O/読書とメガネ
知ってはいたのだが、
加齢、そして視力の衰えに伴い、メガネの度数が合わなくなっていた。
そのため、読書が少々つらいものになってきて、
気持ちはあっても、本に向かい、ページを開くのが、
なんとなく億劫になっていた。
読んでも長くはつづけられない、疲れる、集中できない。
とりわけ、文庫本の小さい文字を追うなどは、もう、ほとんど困難。
したがって、名作のはずのものも、こちらに伝わるものが少なく、
味が薄められて、興味が削がれる、……その悪循環。
それなら早く視力検査をしてメガネを作り替えればいいのだが、
それもなんとなく億劫で、従来からの遠近両用メガネで
どうにか凌いできた。
ある日、家内が転倒したおり、メガネのフルームを
おおきく歪めてしまった。再三メガネ店に行って
なおしてもらってきてくれ、とうるさく言われ、仕方なく
行かねばならない仕儀になった。その折、ハッと思いつき、
わたしも視力検査をし、老眼鏡を新調することにした。
白蝶草
七月末、それが出来上がって、さっそくかけてみれば、
まあまあ、なんとよく見えること!
まるで魔術のように、世界がくるりと回転し、
ぜんぜんちがう風光を見せてくれているかのよう。
文庫本も新聞も資料類も、問題なし。
それに、以前の遠近両用メガネだと、
パソコンの画面を見るには、レンズの下部を通して
見なければならず、顔をぐっと押し上げることになる。
書店の上のほうの棚を見るときも、そんな具合いで、
たちまち首筋が痛くなり、肩が凝った。
その不具合から解放されたうれしさには、大きなものがある。
ハッピー気分で、うれしくてたまらない思い。
ただ、本や新聞を読む、パソコンで作業をする、
といった以外のときは、これを掛けては動けない。
足元が不安定で、よろよろしてしまう。
ふだんの生活や外出のときは、
以前から使っていたものに掛け替えねばならない厄介な手間
は生じた。ときどきそれを忘れて立ちあがって、
あぶなく転倒しそうになったことも何度か。それでも、
足に合った靴を履くことの大事さ、快適さを
教えてもらい、体感したばかりだったが、
こんどは、自分の視力に合ったメガネをかける快適さを
エンジョイさせてもらっている。
読みたい、読んでおかねば、と思いつつ
テーブルわきに積み上げておいた本のヤマが、いま
どんどん崩れつつある。うれしいナ。
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